阿部ブログ

日々思うこと

キャプジェ・ガルチェン・リンポチェ来日と “パンチェンラマ”問題

2013年07月03日 | 雑感
チベット仏教のディクン・カギュー派の高僧であられるキャプジェ・ガルチェン・リンポチェが7月中旬に来日される。ガルチェン・リンポチェは、現代チベット仏教を代表する高僧のお一人で、米国を中心として活動されている。
ガルチェン・リンポチェは、転生活仏でカギュー派開祖のジクテン・スムグンの高弟の転生者に認定されておられる。ガルチェン・リンポチェは、中国共産党のチベット侵略時には、武器をとって戦った武闘派で、中国占領後は、20年の長きにわたり強制収容所に隔離されていた。この間、無為に過ごすことなを研究されている。

◎過去ブログご参照→「チベットはチベット! 断じて中国ではない

中国と戦ったキャプジェ・ガルチェン・リンポチェ来日の報に接し、考えるのが中国政府の偽“パンチェン・ラマ”問題だ。
パンチェン・ラマ11世であるゲンドゥン・チュキ・ニマ(ジェツン・テンジン・ゲンドゥン・イェシェ・ティンレー・プンツォック・ペルサンポ)は、4月25日に24歳となった。
1995年5月14日にダライ・ラマから正式にパンチェン・ラマ11世として認められた直後の5月17日に、家族と一緒に中国当局に拉致され、以後消息を絶っている。当時は6歳だった。既に拉致から18年の時が過ぎ去った。

チベット亡命政府は、中国政府に対し、パンチェン・ラマ11世の消息と解放を要求しているが、一切無視している。このパンチェン・ラマ11世が拉致された時期のチベット自治区党委書は、後に国家主席となる胡錦濤。チベットでは、反中国デモが活発化しており、胡錦濤は、抗議デモを容赦なく弾圧し、逮捕した僧侶には公開裁判の上、死刑判決や長期重労働など重罪判決を言い渡し、無慈悲にチベット民衆と僧侶を圧殺した。
チベット全土が動乱状態にある中、1989年1月28日、パンチェン・ラマ10世が急死した。パンチェン・ラマ10世は当時から毒殺されたとの噂が絶えず、チベット人は胡錦濤が殺害を指示したと考えている。多分真実だろう。

パンチェン・ラマの死去により、抗議デモはますます大規模化し、手に負えなくなった胡錦濤は、共産党史上初めてとなる戒厳令を布告。時に1989年3月8日午前零時。後の天安門事件に先立つもので、この断固たる対応が後の国家主席への道を開くことになったが、チベット民衆を弾圧した胡錦濤の罪は非常に重い。
胡錦濤は、ダライ・ラマと違いチベットに居るパンチェン・ラマ11世も、先代同様に殺されている可能性が高い。チベット人にとってダライ・ラマを太陽。パンチェン・ラマを月であり、民族の存立にかかわる大切な存在として崇敬してきた。中国は、傲慢にも偉大なチベットの大地に根付く霊的血脈を断絶し、中国当局の言いなりとなる「偽パンチェン・ラマ」を擁立した。「偽パンチェン・ラマ」は、中国共産党幹部の子であるギェルツェン・ノルブで、彼は政治局員として中国政府の手先として利用されている。

しかし、チベットには第二、第三のキャプジェ・ガルチェン・リンポチェが生まれ、中国からのチベット解放に向けて武闘するだろう。我々は歴史的、文化的観点から、また中国の遅れた植民主義を打破するためにもダライ・ラマ亡命政府とチベット武闘派を支援するべきだ。そしてパンチェン・ラマ10世と11世の死についての真実を暴かなくてはならない。
だが、ダライ・ラマ法王が認定したパンチェン・ラマ11世には生きていて欲しいと願うのは、チベットの人たちでだけはないことは重々認識しておくことだ。

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