かかりつけのドクターの所へ、入院中の検査記録等の書類を携えお届けに伺った。
先生は私の顔を見るなり「いやー大変だったね~良かった!良かった!」と笑顔で仰った。細かい話を訊かれても、私は全く答えられなく切ない思いをした。
2/5(日)未明東京駅のお手洗いで、気を失って居た(6時間位)私は、救急車で第三救急施設である、大学病院・救命救急センターに搬送された。意識の戻っていない私は、番号でやり取りをされたらしい。私が意識を取り戻した時には、全ての検査が終わっていて「貴女は喘息発作とインフルエンザで42℃の体温が有り運ばれました」と何故,東京駅に居たのか?発熱の自覚は無かったのか?等々何も答えられない自分、気分がもどかしいばかりだった。気が付けば両手の動脈には、様々なラインが枕元に有る機器に繋がれ、私の体内のチェックをしていた。さながらガリバーの様だった。
自身の身元については、救急の職員が、あの手この手を尽くし、深夜2:00過ぎに息子に行き当たり、私の処置に付いての事故が有っても納得する等の書類に署名捺印がして有った。部屋で私を見た時真っ白な顔で意識も無いので、彼は相当なショックを受けたと言う。
病院の朝は早く、6:00になると検温、血圧から始まる。
既に体温は39℃~38℃大分下がり、皆さんをホッとさせた。その後7名位のドクターなどがドドドと入って来られ「私達はチームを組みFさんの救命に当たらせて頂きます、安心して下さい」と私の不安の状態を安心させて下さった。何と素晴らしい皆さんだろうと、感激しながら?全容の解らない儘、酸素を送られながら一日中うとうとしているばかりだった。つづく。
先生は私の顔を見るなり「いやー大変だったね~良かった!良かった!」と笑顔で仰った。細かい話を訊かれても、私は全く答えられなく切ない思いをした。
2/5(日)未明東京駅のお手洗いで、気を失って居た(6時間位)私は、救急車で第三救急施設である、大学病院・救命救急センターに搬送された。意識の戻っていない私は、番号でやり取りをされたらしい。私が意識を取り戻した時には、全ての検査が終わっていて「貴女は喘息発作とインフルエンザで42℃の体温が有り運ばれました」と何故,東京駅に居たのか?発熱の自覚は無かったのか?等々何も答えられない自分、気分がもどかしいばかりだった。気が付けば両手の動脈には、様々なラインが枕元に有る機器に繋がれ、私の体内のチェックをしていた。さながらガリバーの様だった。
自身の身元については、救急の職員が、あの手この手を尽くし、深夜2:00過ぎに息子に行き当たり、私の処置に付いての事故が有っても納得する等の書類に署名捺印がして有った。部屋で私を見た時真っ白な顔で意識も無いので、彼は相当なショックを受けたと言う。
病院の朝は早く、6:00になると検温、血圧から始まる。
既に体温は39℃~38℃大分下がり、皆さんをホッとさせた。その後7名位のドクターなどがドドドと入って来られ「私達はチームを組みFさんの救命に当たらせて頂きます、安心して下さい」と私の不安の状態を安心させて下さった。何と素晴らしい皆さんだろうと、感激しながら?全容の解らない儘、酸素を送られながら一日中うとうとしているばかりだった。つづく。