なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

集中・・・”力”

2009-02-20 17:31:59 | Weblog
 集中力という話がありましたが、私も言葉としては”集中力”と言う風に使いますが、自分に関してはどうも”力”というものが当てはまるかどうかわかりません。
 ”力”と言うとなんだか意志の力とか能力みたいで良さそうなんですが、考えてみると単に”性質”とか”性格”に過ぎないと思うところがあります。

 囲碁を考えてみると”集中力”と言うものは重要な意味があるとは思います。
  物事を整理して、考えて理解する、解決策を考えることを短時間に、狭い範囲に集中して行うあるいは、一定時間そのことに集中できる力とでも言ったらよいでしょう。
 但し、囲碁ではそういう一面だけでなく、碁盤を広く見ることができ、どこに問題が隠れているか感じることができる能力とか、一つのことを別の角度から見ることができることも大切だと思われます。
 二つみたいだけれど、整理すると三つかも知れません。
  「見る・感じる感覚」と「考えて理解、解決する力」それにそういうことに「集中・持続する力」と言うことでしょか。
  
 自分の事で言うと、私の場合は「力」と言うより、そのような性格と言う方に近いようですから、「集中力がある」とは胸を張れません。
  「性格」的な面では子供のころに思い当たることがあります。
 小学校5,6年頃だったと思います。
  算数の授業で教わったことが面白かったり、自分なりに感じるところがあると、授業の後も休み時間に表で遊ぶことはなくて、教室に残って復習したり応用問題に取り組んでいたりしたものです。
  クラスメイトからは、多少変わり者とは見られていたでしょうし、「ガリ勉」という風に言われたりしたらしい。
  実際は変わり者的な性格はあるものの「ガリ勉」ではないのです。
 外で遊ぶのと同じように、その時の勉強したことが面白かったので授業が終わってもやめたくはなかっただけのはなしで、自慢ではないけれど家では勉強などしないのですからガリ勉では無いでしょう。
 そう言えば中学校時代でも家では勉強をしなかった代わりに・・・家で復習をしない代わりに本番の授業での集中度は意識して高めたとは思います。
  まあそれは「力」では無く、そういうパターンが好きな性格ですね。

 なぜ「力」にこだわるかと言うと・・・
  いわゆる集中力が高いと言われている性質でも、(私の場合だけかも知れませんが)失敗する時のギャップが大きいのです。
  要するに私の場合は、集中して上手くいくことが多くても、落とし穴的ギャップで大失敗もあると言うことです。
 他の人では考えられないような、何でも無いところでミスをしたり・・・
  要するに集中力と言う単一な秤では無くて、いろんな場面での平均的なデータで考えるとあまり個人差と言うものはないのかも知れないと思っているのです。
 一つのことに異常なほどに集中できる人は、生活の他の場面では全く集中にかける面があるらしい・・・だから平均したら皆大した差はない。
 問題はどの方面に適用されるか・・・ですね。
  少なくとも私の集中力は仕事関係では適用を欠くかも・・・遊び方面での集中力はかなりのものらしい。
 但し、肝心の囲碁での能力が問題。