今日は寒い、今日もかも知れませんが、ともかく寒い。
南関東でこの程度の寒さに震えていたら北国の人に笑われそうですが、しかし寒いものは寒い。
寒いと体の芯から震え出すような性格?、いや体質?かも知れません。
しかし、「寒い」は女房殿の前では禁句なのです。
あちらさんは、朝5時には起きて炊事をしながら洗濯をして、出かける前には表に干していくので・・・私が寒いなどと言おうものなら、このときとばかり「私は動き回っていますから寒くないですよ」などと冷たいしっぺ返しが来るのです。
冬だから寒くても当たり前みたいなものですが、「暖冬傾向」という割には「暖」だとは感じない・・・
尤も昔の冬はもっと寒かったような気がしますから、感じ方の問題もありそうです。
子供時代は真冬には大きな霜柱を踏みながら登校したものですから、そのころの寒さとは確かに違います。
「子供は風の子」という歌の文句みたいなものがありますが、私は昔の子供のくせに寒さにはからっきし弱くて、冬の朝に友達が「○○チャン遊ぼう」と呼びに来ても布団にもぐったまま「あーとーで」状態。
だからウィンタースポーツ、スキースケートとは縁がありません。
滑降も、大回転も、距離スキーも、フィギアスケートもスピードスケートもTVでなら見ますが、実際にその場で見るとなったら逃げ出すに違いない・・・いや、そういうところには近づかないに違いない。
先日TVを見ていたら人間の「体内カレンダー」と言うものがあるのだそうです・・・サイエンスの雑誌にも取り上げられたそうです。
それによると、冬になると体の働きが鈍ったり変わったりするらしい。
敏感というか過剰に反応する人には、冬季鬱もあるらしい・・・
私もそういう傾向の体質なのか、単に寒さを口実とした怠け癖なのか
冬は囲碁の勝率が悪い?・・・そこまでは無いようではあるが、少なくとも目が覚めてからか体にエンジンがかかるまでには人より時間がかかるかも知れませんから、例え座ってやる囲碁であっても十分に心身のアイドリングが必要かも知れません。
運動の場合はアップが必要ですし、私の場合の自転車通勤でも走り始めの15分程度は意識して早くは走らないようにしています。
体の活動だけでなく、精神的活動にも季節の寒さは影響しているらしい。
私が寒さに弱いのは寒さへの反応が強いのかな?
南関東でこの程度の寒さに震えていたら北国の人に笑われそうですが、しかし寒いものは寒い。
寒いと体の芯から震え出すような性格?、いや体質?かも知れません。
しかし、「寒い」は女房殿の前では禁句なのです。
あちらさんは、朝5時には起きて炊事をしながら洗濯をして、出かける前には表に干していくので・・・私が寒いなどと言おうものなら、このときとばかり「私は動き回っていますから寒くないですよ」などと冷たいしっぺ返しが来るのです。
冬だから寒くても当たり前みたいなものですが、「暖冬傾向」という割には「暖」だとは感じない・・・
尤も昔の冬はもっと寒かったような気がしますから、感じ方の問題もありそうです。
子供時代は真冬には大きな霜柱を踏みながら登校したものですから、そのころの寒さとは確かに違います。
「子供は風の子」という歌の文句みたいなものがありますが、私は昔の子供のくせに寒さにはからっきし弱くて、冬の朝に友達が「○○チャン遊ぼう」と呼びに来ても布団にもぐったまま「あーとーで」状態。
だからウィンタースポーツ、スキースケートとは縁がありません。
滑降も、大回転も、距離スキーも、フィギアスケートもスピードスケートもTVでなら見ますが、実際にその場で見るとなったら逃げ出すに違いない・・・いや、そういうところには近づかないに違いない。
先日TVを見ていたら人間の「体内カレンダー」と言うものがあるのだそうです・・・サイエンスの雑誌にも取り上げられたそうです。
それによると、冬になると体の働きが鈍ったり変わったりするらしい。
敏感というか過剰に反応する人には、冬季鬱もあるらしい・・・
私もそういう傾向の体質なのか、単に寒さを口実とした怠け癖なのか
冬は囲碁の勝率が悪い?・・・そこまでは無いようではあるが、少なくとも目が覚めてからか体にエンジンがかかるまでには人より時間がかかるかも知れませんから、例え座ってやる囲碁であっても十分に心身のアイドリングが必要かも知れません。
運動の場合はアップが必要ですし、私の場合の自転車通勤でも走り始めの15分程度は意識して早くは走らないようにしています。
体の活動だけでなく、精神的活動にも季節の寒さは影響しているらしい。
私が寒さに弱いのは寒さへの反応が強いのかな?