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赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

衛藤晟一大臣の活躍に期待する コラム(309)

2019-09-25 00:00:00 | 政治見解




コラム(309):衛藤晟一大臣の活躍に期待する


今回の組閣改造人事では名前は控えておきますが、「権勢欲」、「名誉欲」、「金銭欲」、「虚栄心」にまみれた議員が7人ほど入閣しています。

そんな中、本気で国家のあり方を変えようとする大臣がいることも事実です。

その大臣とは、一億総活躍担当大臣の衛藤晟一(えとうせいいち)氏です。領土問題担当、内閣府特命担当(沖縄及び北方対策、消費者及び食品安全、少子化対策、海洋政策)も担当範囲に含まれています。

衛藤氏の人となり、政治家としての力量について、氏が大分市議、大分県議、衆議院議員の各時代にともに考え、ともに行動してきた筆者の目を通してお伝えしたいと思います。


福祉問題はライフワーク

衛藤氏の父親は傷痍軍人でした。また、早くに体の弱かった実母をなくしていましたので、福祉問題には強い関心を抱いていました。そのため、市議に当選すると直ちに福祉問題に取り組み、昭和50年代初頭には、当時国内でも珍しかった移動入浴車を大分市に導入させました。

今日でも福祉への取り組みはライフワークです。厚生労働省から頼りにされるだけでなく、党派を超えて共感を得ています。事実、2003年の衆議院選挙では自民党候補である氏のもとに、反体制左派と目される樋口恵子氏がわざわざ大分市にかけつけ応援演説をしたほどです。

この背景は、氏の福祉への考え方が、票目当てはなく、本心から弱い立場の人にいかに寄り添っていくのかという視点で考えているからです。


市議・県議時代は暴れん坊

衛藤氏は、大分大学時代、学園正常化運動の先頭に立ち、全共闘から有志とともに経済学部自治会を守りぬきましたが、これが「日本を守り抜く」という政治家としての志を立てた原点になっています。

25歳で大分市議に当選、32歳のときに大分県議に当選しました。この間取り組んだ仕事で特筆されるのは、日教組との対峙でした。

大分県は日教組の御三家と言われ、村山富市首相の支持母体である旧社会党右派の牙城です。いまでこそ、日教組の弱体化が目立ちますが、当時の大分県の日教組の組織率は99%を超えており、その中で日和見ばかりの自民党議員を尻目にただ一人、教育正常化を強く訴え一歩も引きませんでした。

その分、日教組の反発は凄まじく、38歳で衆議院選挙に出馬した際には、日教組から「昭和のヒトラー」などと凄まじい罵詈雑言を浴びました。

また、同和問題でも一切臆することなく、業者が住宅街の真ん中に屠畜場建設を計画した際には、反対運動の先頭に立ちました。当然、業者から議会への圧力、住民へのいやがらせ、自宅には脅迫電話などもありましたが、それらに一切臆することなく、結局、屠畜場は山中に建設させました。


安倍晋三氏との運命的な出会い

昭和63年、次の衆議院選で捲土重来を期して上京していた衛藤氏は、当時安倍晋太郎氏の派閥であった清和会で、父・晋太郎氏の秘書をしていた晋三氏と偶然に話す機会を得ました。わずか20分足らずの話でしたが、両者はすっかり意気投合。まるで数十年来の友人であるかのようなうちとけた光景を筆者は驚きをもって見ていました。

この出会いが、後年、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会(安倍晋三事務局長)」などに結実し、今日の左派的歴史観から脱却した教科書づくりの源流となりました。

安倍晋三氏の衛藤評は「どんなことがあってもぶれない」というものです。これは、安倍氏が内閣官房副長官のときに衛藤氏との対談で筆者が直接聞いた言葉です。政治家はとかくメディアや世評により意見がコロコロ変わるものですが、その点、氏の主張は、とりわけ国家論、憲法論については首尾一貫しており、ぶれることはありません。

今日でも、安倍総理の信任は極めて厚く、氏が郵政民営化問題で自民党を飛び出したあとでも、自民党復党が許され、参議院比例区に転出することができました。

参議院議員当選後から今回の大臣になるまで内閣総理大臣補佐官(教育再生、少子化その他国政の重要課題担当)として安倍総理を支えていました。この意味するところ、氏が安倍総理の思想的な骨格と国政の基本的課題の屋台骨を担っていたということにほかなりません。


思想は違っても対立する政治家は少ない


衛藤氏の特徴は、日本を守るという信念のもとに猪突猛進することです。このため反体制左派の政治家から嫌われると思われがちですが、意外に左派の敵は少ないのです。その理由は、あくまでも政策論争するだけであって人格否定や悪口を言わないことにあります。国会が荒れるのは、政策論争よりも罵詈雑言の応酬にみんなが専念しているからです。氏はそんなことに一切興味がありません。

その実例が、自民党を飛び出して衆議院選挙にのぞんだとき、真っ先に応援に駆けつけたのは、中選挙区時代に激しく戦った社民党の村山富市元首相でした。前述の樋口恵子氏も同様です。それぞれの国家に対する思想の違いはあっても、政治に筋を通す氏には党派を超えて応援したくなるようです。


政治に筋を通す


朝の政調会合で、外務官僚の横柄な態度にコップの水を浴びせかけたこともある衛藤氏ですが、ここでは、メディアも全く知らないエピソードをご紹介しましょう。

氏が自民党政調の筆頭副会長であったときの政調会長は亀井静香氏でした。政治信条面では互いに共感していたのですが、あるとき、政策立案上の問題で、両者の論争が頂点に達し、政調会長室で湯飲みを投げあう事件がありました。

「晟一、お前の顔なんか見たくない」と亀井氏が言えば、「私も先生の顔なんか見たくない」と衛藤氏が応酬するほどの大事件でした。ときの権力者であろうが氏にとっては、政治に筋を通すことが重要だったようです。

翌日、筆者が氏の関係者であることを知っていた亀井事務所の人から、ことの顛末を聞き、大分の事務局長に連絡しました。最終的には衛藤氏が詫びを入れることで決着しましたが、その後は何事もなかったかのように政調会長と筆頭副会長の厚い信頼関係に戻っていました。


衛藤晟一大臣の活躍を期待する

衛藤氏は、本来はもっと早くから大臣になってもよい経歴なのですが、他人を押しのけてでも目立つことよりも、安倍総理の黒子に徹して屋台骨を支えることを優先させていました。

しかも、お金に関して全くのクリーンです。外部の会計監査をいれ、入出金についても精査しています。政治家の資産公開の折りには、長らく0円が続き、本人も「恥ずかしい」と言っていたほどです。

女性スキャンダルもありません。まして、中韓のハニートラップとは無縁、そのような場では断固拒否の姿勢を貫いていましたので、この問題で叩かれることもありません。

思想的には、いわゆるタカ派中のタカ派に分類されますので、メディア受けは極めて悪いと思いますが、それに臆することなく、衛藤氏は業務を淡々とこなしていくことと思います。

とりわけ、メインの所管である一億総活躍担当については、1999年の「少子化社会対策基本法案」を衛藤氏が中心となって策定して立法化した経緯もあり、人口動態と時代の要請を調和させる方向での新しい考え方を提起してくれるものと確信しています。

衛藤大臣の大暴れを強く期待します。



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