篠ノ井公平氏(シーラカンス学術調査隊 隊長?)は実は任侠映画の監督を
していた方です。そして私がかかわったのは 第三次学術調査フランス領
コモロ諸島で 初の泳いでいる姿を撮影(フランス人スタッフ)そして、その
個体を冷凍保存にして 1989年上野輝ま氏が国立科学博物館内にて
冷凍保存の個体を世界初となる解剖を行い、その際にオフィシャルスチール
カメラマンとして 一部始終をスチールに収めました。
(学術調査隊側のビデオは小林氏でした)二つの世界初が重なり、当時は
シーラカンスブームが起きました。このことはこのブログ内にも記述があります
腕章をつけて撮影していたんですが、そもそも篠ノ井氏は解剖の開始時刻は
教えてくれましたが 後の段取りは教えてくれなかったので、フィルム交換の
タイミングとか 次に何をするのかがわからず、相当焦ったのは事実ですが
NHKが強引な電話をかけてきて 篠ノ井氏が激高していたのも事実です。
この世界に流れたニュースをNHKは撮影できなかったのです。ふふふ
ちなみに もちろんこの名前で仕事をしていた訳ではありません。
また 日本の検索エンジンにはスチールが他人となっているけれど、
様々なメディアに 学術調査隊を通じて写真を提供しており ただし
著作権は私にあるわけではないので、中には私が上野先生の横で、
金目鯛(シーラカンスの胃からでてきた)のを確認していて、ファインダーを
見ていない写真などもあり 実は結構悔しかった(勿論撮影したあとのほんの
一瞬)思い出もあります。
篠ノ井氏は逝去されております。こんな重要なミッションなのに シナリオを
知らぬまま撮影したのです。
それと シーラカンスの身を食べたというのは本当の話ですが、みな
一様においしくないと・・・。
解剖があんなに早く進むとは・・おおむね一時間程度か、ともかく影も形も
なくなりました。それぞれの分野の研究者がお持ち帰りなさったようです。
それと 日本では初めて篠ノ井氏のお宅で 動いているビデオをみせて
いただきました。まぁ世界初の映像でもあるわけで・・。
考えたら、元映画関係者からの仕事も多かった。でも今思えば、皆さんが
チャンスをくれたのだと、そしてチャンスをしくじる事はこいつならばないと
考えてくれたのかなぁーと思います。
ひとつひとつを大事にすること、クライアントの意向を組むこと(無言でも
それを察する)営業は大の苦手でしたから 1回だけしましたが。
口コミという力は一番強いのです。へぼですが でも自分が満足しない人は
あそこのにいちゃんに頼んでみたら・・・とは言わないので・。
ちなみに おんぼろスタジオで「あのおじさんの言うことを聞くんだよ」
と30代の時に言われたけど そういう時は手を抜きたくなる。