篠ノ井さんと知り合ったのは、偶然なのか必然なのか?
今はインドネシアのシーラカンスに打ち消されてしまった感はあるが、1980年代フランス領のコモロ諸島で
現地の漁民達が時々釣り上げていた不気味な魚が、実は光の届かぬ深海で進化することなく生き続けていた魚
であり、当時から「生きた化石」といわれていたシーラカンスである事を突き止め、何とかしてその魚の個体を
発見するべくシーラカンス学術調査隊を結成し現地で様々なアクションをおこしたのが篠ノ井氏である。
後で知ったのだが、篠ノ井氏はやくざ、任侠もので監督をしていた人物なのである。
それが何故シーラカンスになったのかは不思議であるが、古代の魚が現代に姿を現したことを考えれば
ちっぽけな謎に過ぎない。
当初はcannonのスチールカメラを使っていたのだが、あちらの漁民のカヌーのような不安定な船もどきと
岸から沖へ波を乗り越えていく過酷な状況などを聞いて、当時では最速AFであったミノルタのα9という
機材一式を投入してもらった。
フィルムの選定なども話を聞きながら選んだのだが、現場は想像を超えた世界であったようだ。
その当時のカメラでは太刀打ちできない状況で、やはり人間の目でピントを合わせた方が速いというこに
なり、コモロに行かないか?とのお誘いがあった。
しかし、湿度が90%以上の場所だと聞いただけで、私は「絶対無理だし多分足手まといになる」と思った。
そんな事があったが、コモロから帰ってくると必ず連絡があったのでお会いしながら、どんな方法が
決定的瞬間を捉えられるのかを話たりした。
その1