ペンタックスの6×7である。
京都の大学に進んでからふと、せっかく京都にいるのだから「京都の写真でもうつしてみるか」という程度の
気持ちで買った。
レンズは55mmと200mmの2本だけである。それまでは写真には全く興味が無かったのだが、当時京都の
写真といえば「山本健三」という名手がおり、その写真をみて真似をしようと思ったのだった。
それ以前に白川義員という写真家の「仏教伝来」という写真展があり、メーター焼きされたプリントの迫力は
凄まじく感じていて、写真展の出口付近に撮影機材としてペンタックス67が飾られていた時の印象が
強くあった。京都の撮影ははっきり言えば最初は大失敗ばかりだった。
その当時でもなつかしの機材としてとりあげられていて20年間ほぼモデルチェンジがないままの
カメラであり、露出計は「原始的な全面平均測光」の反射光式で、被写体の輝度に左右されるので、
全くあてにならないものだった。
だから太陽などが入る構図では、その割合に応じて自分で露出をかんがえなければならないものなので
それが、わかるまでにフィルムを随分無駄にした。
ただ、こつさえ覚えれば楽なもので、そのコツというのは、自分の手の甲の露出を測るというもので
これだと、ほぼ反射率が18%の入射光式と同じ値になるので、それを元に露出を決めれば良いのである。
地の利を生かして、朝誰もいない哲学の道と桜や平安神宮などを写すことができた。
ところが、写真を生業にするようになって、あまり使わなくなったのだが、この67カメラの利点は、
望遠レンズが充実しているところなので、400mmF4レンズ(当時で70万円)とか800mmレンズなどを
使う必要があるときには、この67が役に立った。機材は2台持ちという私流の考えからボディをもう一台買い
このカメラの最大の欠点である電池が無ければシャッターが切れないと言うものを、ペンタックスの
プロ課で無電源化改造をしてもらった。
さらに銀一というプロ御用達のショップでペンタックス67レンズをニコンマウントに変換するアダプターを買い
太陽のドアップなどや、望遠の圧縮効果を利用した撮影などもしたが、35mmのフィルムで換算すると、
2000mmのレンズになる為、夕方などの太陽の撮影でもサングラスをしないと目が一時的に見えなくなり
さらに、一駒を写したら一枚空撮りをしないと、太陽が隣の駒まで写り込むことがあった。
2000mmを超えると、ファインダー越しでも時たまどこを狙っているのか?わからなくなるものである。
このペンタックスの望遠につけていたのは、ニコンのF3Pである。