新 カメラマンボウ まさかという坂はない2
大学時代は四畳半の下宿生活で過ごした。
マンボウという名を使わせて頂いているが、北杜夫氏に傾倒していてまた手紙のやり取りもしながら
氏の旧姓松本高校(現信州大学)時代のハチャメチャぶりを書いた「どくとるマンボウ青春期」の
ような生活を目標にしていた。時代も違うのでとは思いながら・・・・。
他方で白川義員氏の個展「仏教伝来」のメーター焼きを見て、また篠山紀信の個展等をみて
写真ってなかなか面白そうかもとも思った。
更に山本健三氏の京都の写真を見て単純に「綺麗だなぁ」と思ったのだが、1年生の後半からは
友人がたくさん出来た。最初は学校の紹介で借りた普通の家の2階の一室にいたが、
なんだか大家のいい歳をしたおっちゃんが、足音がうるさいだとか、それって隣の部屋の
女の子じゃんと思い、更に3部屋あるうち2部屋は女なので、なんか生活しづらいので、
学校から離れたところで部屋を探したら大学の教授がやっている1,2回とも普通の下宿が
みつかり、そっちに移った。なんで学校から離れた所にしたかといえば、ブンガクを
するには夜中が自由である必要があると考えたからだ。
ところが、殆ど毎日朝昼晩関係なく友人たちが来てしまって、しかも下宿の鍵はキーコーヒーの
鍵よりも単純なもので、鍵をかけてでかけても、帰ると中に人がいる状態だった。
不思議と10人ぐらいのグループが5セット位来るので、深夜組は10時頃から来ていて
帰るのが3時位で、毎晩安い焼酎を1本開けていた。
私は下戸なのだが、京都は盆地でしかも叡山おろしの風が来るところで冬は寒くて
お湯割りで飲んでいた。たまに誰もこない時があったが、ふと目をさますと、友人数名が
深夜に密かに部屋にいて私が気がつくのを待っていたこともあった。