神奈川県立金沢文庫80年企画展「武家の都 鎌倉の茶」 ※6月27日(日)まで
今月最後の土曜日、稽古日程が変更になったため、ぽっかり時間が空いた。
それで金沢文庫に行こうと計画。調べてみると、特別講座の開催日であることが判明
気づいた時点で締切日は過ぎていたのだが、ダメ元で問い合わせたら間に合った
で、勉強つきのフリーク
ちょっと失敗だったのはランチ
記憶だと「たしか住宅街の中にあったよなぁ。じゃあランチできる処ないよね」と思い、
京急の駅前でサッサと済ませてしまった。
しかし、門の向こう側の参道沿いに『ふみくら茶屋』があったのある
しかも、「本日、シャコ丼あります」って。
シャ、シャコですと~。
この前から、気になってたんだぁ。
「今、シャコが旬なんだよねぇ。三浦で獲れるシャコ美味しいんだよねぇ。
でも、最近はなかなか店頭に並ばないんだよなぁ。食べたいなぁ」
って、ぶつぶつ言ってたの。
食べたかったよ~
しかも、追い討ちをかけるように帰宅したら朝日新聞夕刊にシャコの記事がっ)
そういえば、以前に母親と称名寺と金沢文庫を訪れたことがあった。
この「ふみくら茶屋」で食べた栗ぜんざいがとっても美味しくて、腹持ちがよかったなぁ。
(すっかり忘れていた。む、無念)
話が脱線しちゃって、ごめんなさい
ホントに残念で悔しかったので、ついプライベートなことを書いてしましました。
(だって、シャコ漁やってる柴漁港って、金沢文庫からメッチャ近いんだよぉ)
本題に戻ります。
前回、ここを訪れたのは約4年半前。(2005年12月)
開館75周年記念で「茶と金沢貞顕」を鑑賞した。
これで鎌倉時代の喫茶文化を知り、とても感動した。
この展覧会で建長寺で毎年10月に開催される四つ頭茶会の存在を知り、翌年参会したなぁ。
→こちら
一昨年夏に京都の茶道資料館で『鎌倉時代の喫茶文化』も見たしね。
だから、今回の展覧会も復習のつもりで展示はさらっと流して見た。
(後は講座でポイントを聴いてから、見直せばいいかなと)
が、講座の内容が眼からウロコ
テーマは『称名寺と末寺の茶』という一見地味な内容。
が、のっけから「1960年代にエライ先生方が唱えられた茶の招来説は今では否定されてます」
つまり、お茶は平安時代に唐から伝わったものの、日本文化には定着せず廃れ、
鎌倉時代に栄西が宋で禅を学んで帰国した際に、茶の実を持ち帰ったのが始まり~。
とする説は間違ってるとのこと。
平安時代に伝わった茶は嵯峨天皇の命令で各地の国府において栽培が始まり、
粛々と毎年献上されたのだと。
制度化して定着したので、逆に文献に残らなかったのではないか。
確かに、平安貴族の間には日常として広まらなかったようだけど、
そもそも彼らは院政の時代になって没落したから、文書も残らなかったとも考えれる。
実際、寺院では供物や祈祷のためにお茶は使われ続けていて、
院政時代の漢詩文にも「茶園」は登場しするし、所領譲り状にはお茶を増量している記述もある。
だから、栄西が宋から持ち帰らずとも、既に京都に「茶」はあった。
そもそも「栄西禅師」とするから、吾妻鏡の記述を誤解するのだと。
当時はまだ天台宗の所属であり、よって「本寺」とは延暦寺のこと。
つまり、延暦寺に通じて京都からお茶を取り寄せて、源実朝に献上したワケ。
(延暦寺は敷地内に日吉園を持っていて、栽培していた)
平安時代に団茶が廃れたのが「お茶が廃れた」と解釈する要因ともなっているが、
団茶は遠距離を運ぶために固形化するわけで、用途に応じるもの。
日本の場合、都の近く(=栂ノ尾や宇治)で生産しているから、すぐ運べる。
わざわざ固める必要がないから団茶にはしなかったのだと考えられる。
などなど、いちいちナットクしてしまった。
そういえば昨年末に読んだ神津朝夫著『茶の湯の歴史』にもチラッと書いてあったなぁ。
(深く考えもせずに軽く読み飛ばしてしまった)
また、最初は煎茶(淹茶)だった。
もっとも、当時は煎茶でも茶葉を臼で挽いて粉末にしていたらしい。
寺院で使われるお茶が煎茶から粉末を点てて喫する抹茶に替わったのは14世紀初めとのこと。
さらには、煎茶が抹茶に変わったくらいで寺院の喫茶は江戸時代まで続くわけで、
この流れの中から茶の湯文化が出てきたわけではない。
どこで変革されたのか、どう侘び茶に繋がっていくのは興味深いとのこと。
(専門ではないのか、その辺りは話を濁された)
とても全部は説明しきれいほど、90分間の講義が濃密な内容だった。
茶道には直接結びつかないとはいえ、とても勉強になった。
図録も購入した。
前回、図録を買わなかったことを後悔したのだけど、売ってたので買っちゃった。
この2冊、京都で買った図録ともにじっくり読んで勉強しなおそう。
と、帰宅後にプリントを眺めつつ、一服いただいて反省。
ちなみに、東京新聞の横浜版に展覧会に合わせた解説記事が連載中。
(5月の日曜日。4回シリーズ)
こちらも3回目までを取り寄せて読んだ。
文字を読んでいるだけじゃあ、なかなか理解できないからダメねぇ。
ほんと、まだまだ勉強不足だなぁ
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今月最後の土曜日、稽古日程が変更になったため、ぽっかり時間が空いた。
それで金沢文庫に行こうと計画。調べてみると、特別講座の開催日であることが判明
気づいた時点で締切日は過ぎていたのだが、ダメ元で問い合わせたら間に合った
で、勉強つきのフリーク
ちょっと失敗だったのはランチ
記憶だと「たしか住宅街の中にあったよなぁ。じゃあランチできる処ないよね」と思い、
京急の駅前でサッサと済ませてしまった。
しかし、門の向こう側の参道沿いに『ふみくら茶屋』があったのある
しかも、「本日、シャコ丼あります」って。
シャ、シャコですと~。
この前から、気になってたんだぁ。
「今、シャコが旬なんだよねぇ。三浦で獲れるシャコ美味しいんだよねぇ。
でも、最近はなかなか店頭に並ばないんだよなぁ。食べたいなぁ」
って、ぶつぶつ言ってたの。
食べたかったよ~
しかも、追い討ちをかけるように帰宅したら朝日新聞夕刊にシャコの記事がっ)
そういえば、以前に母親と称名寺と金沢文庫を訪れたことがあった。
この「ふみくら茶屋」で食べた栗ぜんざいがとっても美味しくて、腹持ちがよかったなぁ。
(すっかり忘れていた。む、無念)
話が脱線しちゃって、ごめんなさい
ホントに残念で悔しかったので、ついプライベートなことを書いてしましました。
(だって、シャコ漁やってる柴漁港って、金沢文庫からメッチャ近いんだよぉ)
本題に戻ります。
前回、ここを訪れたのは約4年半前。(2005年12月)
開館75周年記念で「茶と金沢貞顕」を鑑賞した。
これで鎌倉時代の喫茶文化を知り、とても感動した。
この展覧会で建長寺で毎年10月に開催される四つ頭茶会の存在を知り、翌年参会したなぁ。
→こちら
一昨年夏に京都の茶道資料館で『鎌倉時代の喫茶文化』も見たしね。
だから、今回の展覧会も復習のつもりで展示はさらっと流して見た。
(後は講座でポイントを聴いてから、見直せばいいかなと)
が、講座の内容が眼からウロコ
テーマは『称名寺と末寺の茶』という一見地味な内容。
が、のっけから「1960年代にエライ先生方が唱えられた茶の招来説は今では否定されてます」
つまり、お茶は平安時代に唐から伝わったものの、日本文化には定着せず廃れ、
鎌倉時代に栄西が宋で禅を学んで帰国した際に、茶の実を持ち帰ったのが始まり~。
とする説は間違ってるとのこと。
平安時代に伝わった茶は嵯峨天皇の命令で各地の国府において栽培が始まり、
粛々と毎年献上されたのだと。
制度化して定着したので、逆に文献に残らなかったのではないか。
確かに、平安貴族の間には日常として広まらなかったようだけど、
そもそも彼らは院政の時代になって没落したから、文書も残らなかったとも考えれる。
実際、寺院では供物や祈祷のためにお茶は使われ続けていて、
院政時代の漢詩文にも「茶園」は登場しするし、所領譲り状にはお茶を増量している記述もある。
だから、栄西が宋から持ち帰らずとも、既に京都に「茶」はあった。
そもそも「栄西禅師」とするから、吾妻鏡の記述を誤解するのだと。
当時はまだ天台宗の所属であり、よって「本寺」とは延暦寺のこと。
つまり、延暦寺に通じて京都からお茶を取り寄せて、源実朝に献上したワケ。
(延暦寺は敷地内に日吉園を持っていて、栽培していた)
平安時代に団茶が廃れたのが「お茶が廃れた」と解釈する要因ともなっているが、
団茶は遠距離を運ぶために固形化するわけで、用途に応じるもの。
日本の場合、都の近く(=栂ノ尾や宇治)で生産しているから、すぐ運べる。
わざわざ固める必要がないから団茶にはしなかったのだと考えられる。
などなど、いちいちナットクしてしまった。
そういえば昨年末に読んだ神津朝夫著『茶の湯の歴史』にもチラッと書いてあったなぁ。
(深く考えもせずに軽く読み飛ばしてしまった)
また、最初は煎茶(淹茶)だった。
もっとも、当時は煎茶でも茶葉を臼で挽いて粉末にしていたらしい。
寺院で使われるお茶が煎茶から粉末を点てて喫する抹茶に替わったのは14世紀初めとのこと。
さらには、煎茶が抹茶に変わったくらいで寺院の喫茶は江戸時代まで続くわけで、
この流れの中から茶の湯文化が出てきたわけではない。
どこで変革されたのか、どう侘び茶に繋がっていくのは興味深いとのこと。
(専門ではないのか、その辺りは話を濁された)
とても全部は説明しきれいほど、90分間の講義が濃密な内容だった。
茶道には直接結びつかないとはいえ、とても勉強になった。
図録も購入した。
前回、図録を買わなかったことを後悔したのだけど、売ってたので買っちゃった。
この2冊、京都で買った図録ともにじっくり読んで勉強しなおそう。
と、帰宅後にプリントを眺めつつ、一服いただいて反省。
ちなみに、東京新聞の横浜版に展覧会に合わせた解説記事が連載中。
(5月の日曜日。4回シリーズ)
こちらも3回目までを取り寄せて読んだ。
文字を読んでいるだけじゃあ、なかなか理解できないからダメねぇ。
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