コロナ禍の中で、緊急事態宣言が出て映画館が上映できる時間も減っちゃった中で公開された『大コメ騒動』。
テレビや新聞で事前に紹介され、「ぜったい観に行こう!」と思っていたら、
意外に上映している所が少なくて、自分の行動範囲にあるシアターはたった1館だけ。
しかも上映頻度は1日1回のみ。しかも、昼間(午後3時台)。
え~っ。めっちゃ、ハードル高っ!
でも、幸い平日休みの日があって、しかも1,200円でチケットが買える日だったので、観てきた。
約100年前の1918年(大正7年)、富山県で起こった米騒動については
「そういえば教科書に載っていたなぁ」というくらいしか知らない。
富山の人にとっても“黒歴史”なのだそうな。
観ていて「なるほど~」。
お米の値上がりで困った長屋の女房たちによる積み荷阻止の行動と
それを「暴動」のように派手に報じようとする新聞社。
室井滋の迫力あるお婆(おばば)の迫力がすごかったのと
のんびりした響きの富山弁は耳に心地よかったのと
「米騒動」とは何だったのか、ということはわかった。
ただ、時の内閣を総辞職させてしまうほどの全国的な騒ぎに発展していくプロセスの
説得力は弱かったかなぁ。(歴史的事実として知っているから、そう思って観ることができるんだけど)
まぁ、歴史ものは観る側の認識も加味できる強みはあるかもね。
富山県出身者の熱演がすごかっただけに、公開のタイミングが気の毒に思えた。
私が生きている時代の暴動といえば、海外になるけど天安門事件が印象深い。
だけど、直後の報道~テレビや新聞~で時間があったことは知ってはいたけど、
何がどうして、ああいうことが起こったということは全然わからなかった。
最近、当時を検証する番組などが流れていて、「やっぱ直後は事象しかわかんないもんよねぇ」と。
歴史とはあくまで、時間が経過してから振り返って理解できるというもの。
リアルに事象に接するということは、接しているだけで理解はできていないのかも。
現在のコロナについては、収束した後に検証があってそれらを読んだり見たりして理解して、
「え? あの時の私の行動って、ダメだったじゃん!(あるいは適切だった)」と思えるのかも、ね。
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