山の温泉の帰り道、すすきが顔を出していましたので、早速 お月見団子と一緒に。
すすきの上にあるのは、初期のたまごっち。 折角出したのに、6人の孫たちの誰も興味を示しませんでした。 ああー 昭和は、遠くになりにけり。
翌日、買い物から帰ったら、GIがすすきの束をくれました。近くの土手で採ったって・・。 そりゃあ もう玄関先に ドカンと活けました。もうこれだけで、秋ですよ の清涼感 いっぱい。 月は、出たり入ったりで残念かなー。
その翌日は、本当の「観月会」。台風が来そうで雨が降り出したのに、やってるのかな?と、夕暮れて 初めて出かけてみました。大勢の人で、びっくり。雨の中、日本舞踊や詩吟まで・・。 お茶席がありましたので、立ち寄ってみたら 無料。 上等の茶菓子つきで これまた、ビックリ。テントの中で濡れることもなく一服させていただきました。親切な若い男性のお点前方 有難うございました。
思いがけず 3日間も、月見の会ができて良かったわ。
私は、母と心で会話するときは、月の姿の母となんですが、最近は、月見ることも少なくなりました。多分、かってのように傍若無人の朱に戻りつつあるんでしょうね。母さん、元気でやってるよ! 世間? 知らんがさ、そんなものは・・。と、自由で自分の好きなように生きることが、幸せのバロメーターさと、昔っから直らないね。 もう6人の祖母だよ! 足も 大丈夫! 母さんは、7人の祖母だったね。 みんな幸せにしてるよ。 さあ もう雲に隠れてもいいよ。
歌で、すすきというと、やっぱり吉田拓郎の「旅の宿」(昭和47年)でしょうか?
『浴衣の君は すすきのかんざし 熱燗徳利の首つまんで・・・』と聞いた時の衝撃は、忘れられません。曲とも合っていたけど、今までの音楽の歌詞とは全く違う 岡本おさみ の歌詞の何とも自然な大人チックさ。 だから、この間まで拓郎は、私よりも5~6歳は年上と思っていましたもの・・。
また、時代的な流行歌では、「昭和枯れすすき」(昭和49年)作詞山田孝雄 さくらと一郎の歌。
『貧ししさに負けた いえ 世間に負けた この町も追われた いっそきれいに死のうか・・・』は、GIによると、
「船頭小唄」(大正10年の野口雨情の民謡「枯れすすき」を昭和32年に改題し森繁久彌で大ヒット)
『俺は河原の枯れすすき 同じお前も枯れすすき どうせ二人は この世では 花の咲かない枯れすすき・・・ 』に呼応して作られた どちらの歌も自殺願望の歌なんですって・・。 エッツ!酔った父はよく歌ってましたが・・・。寂しかったんだろうか・・。どちらの曲も、メッチャ流行したよね。 まあ、哀愁を帯びた調べでは ありますね。
深く考えたことなかったわ。ホントGIは、私の専属うんちくマンだね。酒も飲まず、歌も歌わないのに物知りね。
閉塞感を感じる今こそ、平成の枯れすすき どなたか作ってくださいよ。