民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「三角ベース」 マイ・エッセイ 20

2016年05月01日 00時13分13秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   三角ベース
                                                  
 五年前、シルバー大学に入って民話と出会い、民話クラブで二年間学習した。卒業してからは「下野民話の会」に入り、いまも活動を続けている。
 この会はボランティアに力を入れていて、多くのデイサービスや学童保育に民話を語りに行っていた。オイラも最初のうちは積極的に参加していたが、いろいろあって一年くらい前にやめてしまった。しかし、自分ひとりで好き勝手なことをしていていいんだろうか、なにか社会に還元しなきゃ、なにか地域に貢献できることをやらなきゃ、という思いはずっと胸の中にくすぶっていた。
 先日「公園に子どもたちを戻そう」という目的で、三角ベースを復活させようと取り組んでいる自治体があることを知った。
「コレだ! 」と手を叩いた。

 オイラが小学生のころはあちこちにあった原っぱで、小さい子から大きい子まで一緒になって遊んだ。下級生は上級生に教わりながら一つひとつ遊びを覚えていった。
 そんな中に「三角ベース」と呼んでいた、野球を簡単にしたスポーツがあった。三角ベースといってもベースが三角なわけではない。少ない人数でもできるように二塁ベースをなくしてしまう。そうすると、一塁と三塁とホームが三角形になるからだ。
 柔らかいゴムボールひとつさえあれば、特別な道具なんかなくってもできた。バットの代わりは握りこぶしだ。当たっても痛くないからグローブなんかいらない。なんたってランナーにボールをぶつければアウトというルールがあったくらいだ。
 人数が多ければツーアウトでチェンジにしたりとか、隣の家の塀に入ったらホームランにしたりとか、ルールはそのときの状況に応じてみんなで相談して決めた。
 オイラも小学校にあがったころから仲間に入れてもらい、野球のルールを覚え、投げる、打つ、捕る、走るなどの野球の基本動作を身につけていった。
 高学年になると、バットとグローブを使った軟式野球もやるようになった。
 一人のときはバックネットの下のコンクリート部分にボールをぶっつけてゴロを捕る練習をした。バックネットが使えないときは、校庭の隅にあった蒲生君平の胸像の下の石造りの台座がその代わりになった。大きさといい、高さといい、一人キャッチボールにちょうどよく、おまけに真ん中にある銘板のでこぼこがボールのクッションを予測しにくくしていて、集中して練習することができた。
 ずっと後になって蒲生君平が偉い人だとわかったが、当時はそんなこと知る由もない。
こうしてオイラは野球少年となり、中学で野球部に入った。

 誰もが参加できるスポーツとして三角ベースはぴったりだ。「サッカーにはフットサル、野球には三角ベースを」というスローガンもいい。
 こうなったらいいな、あれもしたいな、と次から次へと空想が広がる。
 だが、冷静になって考えてみて、実現するまでにはたちふさがるであろういくつもの壁に、二の足を踏んでいる。
 いまのオイラにそれをクリアするだけのエネルギーがあるだろうか。