
カボチャの成長のため幾つか残してカボチャに絡むひょうたんを取った。これらひょうたんを見て思い出すことがある。物心ついたときから大学時代まで過ごしたローカル線(御殿場線)に「上大井」という駅がある。ひょうたん駅として知られている。
実家は線路から畑を挟んで30m位離れたところにあった。高校を卒業するまでは蒸気機関車が走っていた。風向きによっては、蒸気機関車が通ると家が煙に覆われる。幼心にはポーという汽笛とモクモクモクっと空から覆いかぶさるように降ってくる煙が怖かった。通り過ぎると、洗濯ものに黒いすすがついてしまう。でも、蒸気機関車は駅を発した時の汽笛の音、蒸気を排出する音、重い車輪の音などで遠くからもわかる。母はそのたびに2階のベランダに出て洗濯ものを一時、取り込んでいた。
小中学校へはこの線路を横断して通学していた。家の脇にはおよそ幅1mの道があった。周囲には田んぼや畑がまばらに残っていたので、多分昔はあぜ道だったと思える。当然、当時は線路横断のための踏切はない。砂利を踏みながら単線なのでレールを2本超えて横断した。時々レールの上に足を乗せ、子供ながら足の裏マッサージのような心地よさを感じたものだ。
そのころ友人が学校帰りに線路を歩いていて、蒸気機関車を止めたことがあった。考え事をしていて後ろから迫る機関車の気配を感じなかった。汽笛を鳴らし止まったので気付いたとのことだ。その後仲間内で彼は脱線とよばれた。だが、決して汽車は脱線したわけではない。
昨今痴漢行為等を行った容疑者が線路を走って逃げるというのをしばしば聞く。何か情けなさを感じる。いずれにしても今も昔も線路歩きは、危険で本来してはいけない行為なのは間違いない。
当時の上大井駅は駅舎があって駅員もいた。ひょうたんも駅員が育てたものだ。今は無人駅になったと聞いた。ひょうたんは周辺の人などによって育てられているという。