「お盆を過ぎると、海は土用波、草原(くさはら)ではコオロギが鳴きだす」と、父がよく言っていた。幼心に覚えている。この草の中のどこにコオロギがいるのだろうか?
もう一つ、父の言葉で鮮明に、今でも残っている思い出がある。それは父が幼かったころ、父の祖母から聞いたという、コオロギの鳴き声の意味だ。「肩させ裾させ寒さが来るぞ」と鳴く。父は小学校低学年の頃、このことを作文にして、表彰されたという。後から知ったが、これは全国的なコオロギの鳴き音(ね)の意味付けだ。父の作文が評価されたのは、コオロギの鳴き音そのものでなく、別な要素があったのだと思う。
父は文言だけでなく、意味も説明してくれた。これから秋も深まり冬になる。その前に寒さに備えて、肩や裾(衣類)のほころびを針を通して(刺して)直しておきなさい。この文言が鳴くコオロギのリズムとともに耳奥に残っている。
私は鳴き始めの時期の音を風呂に入っている時や、布団の中で聞くのが好きだ。鳴き始めは「肩させ」から始まり「寒さが来るぞ」をリズムの1サイクルとする。お盆の頃の鳴き始めはサイクルの途中で止まる。「かたさ...」で終わったり、「かたさせす...」、「かたさせすそさ...」など中途で終わるのが面白い。次はせめて「かたさせすそさせ」まで鳴けるかななどと期待し、密かにコオロギを応援する。そして、日を追うごとに短文だったのが次第に長くなり、フルフレーズを鳴けるようになる。
やがて、何サイクルも唱えるようになる。涼しい日々が増えてくる。私も声は出さないが、コオロギとともに「かたさせ...くるぞ」と暗唱する。1サイクルしたところで息継ぎをするとリズムがよい。鳴き始めの今頃はよいが、秋も深まってくるとしだいにコオロギの鳴くサイクルのスピードが速くなる。そして、何サイクルも繰り返すようになる。すると、私の方は息継ぎをする間がなくなり、やがて苦しくなり一呼吸せざるを得ない。コオロギは鳴き続ける。コオロギに敗れた。
昨晩、入浴中にコオロギの鳴き音を聞いた。「かたさ」くらいで、「さむさ」まで鳴くのはまれであった。残暑が続く間はきれいなサイクルの音はまだ聞けないかもしれない。
今年もコオロギの鳴き音を楽しむ季節が訪れてきた。
知人がシュロの葉で作ったキリギリス。
別の知人が荷造りひもで作ったキリギリス。