地下鉄サリン事件が、起きたのは1994年6月だった。当時職場の女性スタッフが、四谷に出張していた。突然スタッフの母親から、私のところに、娘の安否確認の電話がかかり、事件のことを知り驚いた。やがてスタッフ本人から電話があり、幸い事件のあった路線は使っていなかったとのことだった。
世間を震撼させた悲惨な事件だった。18日に上告が破棄され、高橋被告は無期懲役が確定されそうだという。
そして、すでに13人の死刑が確定しており、オウム裁判が終結するとのこと。しかし、刑が極刑であっても、首謀者は黙して語らず、やるせなさが残るばかりだ。
オウム事件と聞くと、思い出す別な事件がある。連合赤軍浅間山荘立てこもり事件だ。当時新左翼と呼称され、ベトナム戦争に反対し、アメリカを支援している国内の体制と闘うという構図を描いていた。しかし、この立てこもりが警察との攻防ののち、解決され、連合赤軍は事実上崩壊した。連合赤軍の発砲により、民間人も含め犠牲者が出た。また、立てこもりだけでなく、逃避行の中で12人の仲間を粛清として殺害していた。思想を超えた、残虐な行為が破滅に導いた。
オウム事件は、多くの市民を巻き込んだテロ事件であった。いずれの事件もどちらが、残忍かなどという、比較論では語れない。どちらも、悲惨でむごい事件だ。決してあってはならないことだ。それゆえに、裁判が終わろうとも、刑が執行されようが、事件の悲惨さなどを記憶にとどめ、平和な世を築いていかねばならない。
時代を重ねれば重ねるほど、天災や事件が増える。それゆえに忘れてはならない事案も増える。辛いけれども過去の経験をベースに現在を生き、さらに、少しでも未来を明るくするよう歩みたいものだ。
世間を震撼させた悲惨な事件だった。18日に上告が破棄され、高橋被告は無期懲役が確定されそうだという。
そして、すでに13人の死刑が確定しており、オウム裁判が終結するとのこと。しかし、刑が極刑であっても、首謀者は黙して語らず、やるせなさが残るばかりだ。
オウム事件と聞くと、思い出す別な事件がある。連合赤軍浅間山荘立てこもり事件だ。当時新左翼と呼称され、ベトナム戦争に反対し、アメリカを支援している国内の体制と闘うという構図を描いていた。しかし、この立てこもりが警察との攻防ののち、解決され、連合赤軍は事実上崩壊した。連合赤軍の発砲により、民間人も含め犠牲者が出た。また、立てこもりだけでなく、逃避行の中で12人の仲間を粛清として殺害していた。思想を超えた、残虐な行為が破滅に導いた。
オウム事件は、多くの市民を巻き込んだテロ事件であった。いずれの事件もどちらが、残忍かなどという、比較論では語れない。どちらも、悲惨でむごい事件だ。決してあってはならないことだ。それゆえに、裁判が終わろうとも、刑が執行されようが、事件の悲惨さなどを記憶にとどめ、平和な世を築いていかねばならない。
時代を重ねれば重ねるほど、天災や事件が増える。それゆえに忘れてはならない事案も増える。辛いけれども過去の経験をベースに現在を生き、さらに、少しでも未来を明るくするよう歩みたいものだ。