摂津三島からの古代史探訪

邪馬台国の時代など古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡り、歴史を学んでいます

最近の今城塚古墳2(いましろ大王の杜)~継体天皇陵の墳丘を散策、まだ残る台風の傷跡も~

2019年05月01日 | 高槻近郊・東摂津

●今城塚古墳が全国の古墳ランキングで1位になり、講演会が催されました

今城塚古代歴史館のホームページに、墳丘内の枯枝撤去作業が完了
 した事が記載されました。現在は、本ページの写真よりも整って
 いると思います。



令和の時代が幕を開けました。いわゆる天皇の万世一系の系譜には、
ここでも紹介している伝承なども含め諸説が存在しますが、少な
くとも現代の皇統は継体天皇からは続いているだろうというのが、
ほぼ古代史の定説になってますね。

そんな継体大王の真陵である事がほぼ確実視されている
今城塚古墳
の最近の様子を、以前、埴輪祭祀場を中心に掲載しました。実はこ
こは墳丘内を散策する事が出来るので、お天気の良い日に廻ってみ
ました。

もしかしたら、宮内庁管轄の「陵墓」になっていたかもしれない、
或いは本来そうなるべき古墳を、こうも親しめるとは、ありがたい
と思います。ただ、昨年の台風21号の影響で、一部で木々が倒れ
ていて少し注意が必要ですが、そんなに危険は感じませんでした。

撮影位置が分かるように、コチラの高槻市のホームページの、説明
板設置位置の番号を活用しまして、その番号と共に写真を掲載しま
す。


14、内堤入口

右に見えるのが内堤張り出し部の埴輪祭祀場で、その後円部側に、
内濠への入口があります。

暗いですが、内提の断面の展示がされてます。



8、墳丘入口

入口は幾つかありますが、博物館に近いのは、写真の中央あたり、
後円部くびれ寄り、階段の有るところ。


「倒木があります。注意してご見学下さい」の掲示があちこちに。
一応、入るとき(と出る時)には、一礼をいたしました。



1&3、後円部頂上

歩道に従い上っていくと、すぐに後円部の一番高い所に出ます。


そこからほぼ
まっすぐに前方部へ続く道を進む。
        


途中、南側斜面に台風による倒木が有りました。



4、前方部頂上西端

写真は、前方部の頂上、すこし面になってるところから後円部方向
を見た図。右側(南側)は、かつての地震で崩れた場所なのか、一
気に落ちています。


1段テラスに降りて、前方部頂上(左上明るい所)を見るとこのくらいの段差。



5、南西隅部

一番築造当初の形態が残っているという、前方部の南西隅部に
スペースが設けられています。前方部周囲の内濠には水が入って
います。



7、南造出し(タイトル写真も)

南西隅部から1段テラスに沿って歩道があり、奇麗に再現された造
り出し部にたどり着きます。くびれ部から後円部の形状が分かり
やすい。

チョッとわかりにくいですが、この1段テラスから前方部を見上げ
たところ。ここらで倒木が多いです。



2、後円部テラス施設

歩いていくと、後円部のテラスの歩道になります。発掘では斜面
に近くの芥川から持ってこられた葺石が確認されています。そし
て斜面下部には墳丘内石積から導かれた排水溝が開口してたよう
です。この上が、最初の後円部頂上部です。


内濠を望む。



歩いていると、いろんな方向に歩道が巡っているようで、この他に
も散策のルートは有ると思います。外側から眺めるだけでなく、
せっかく大王墓を歩けるのですから、神聖な気持ちで墳丘散策も
よろしいかと思います。


コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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有難うございます (akuto508)
2019-07-06 18:14:39
ひろひめ様。
嬉しいお言葉頂き感謝いたします。
半分は自分の理解の整理の為にもやっております。
最近は有名な山の辺の道の話題になってますが、
また、三島地域の話題も取り上げますのでよろしく
お願いします
返信する
Unknown (ひろひめ)
2019-07-06 17:11:55
いつも楽しく拝見しています。三島地域は今城塚古墳を始め古代史を考える上で重要な史跡の宝庫でもありますね!今後も三島地域の投稿を楽しみにしています。
返信する

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