我等が高槻、今城塚古代歴史館の春季特別展が始まりました。今回のテー
マは紀伊国、和歌山県の紀ノ川下流域の古墳群です。去年は丹後、丹波
でしたから、個人的には嬉しい繋がりのテーマです。期間は3月16日
~5月12日まで。特別展は、大日山35号墳を中心とする数基の古墳
からの発掘品で、対象範囲は広くはないものの、拝見したところ、大日
山35号墳の発掘品を筆頭に、大型で見ごたえのある埴輪が多く、興味
深く見させて頂きました。
初日の3月16日に、さっそく初回の講演会があり、館長の内田真雄氏
が、紀ノ川流域の古墳群や遺跡、出土物の概要を一通り説明されました。
展示物を和歌山から専用車で運搬するのは、相当に気を使われたそうです。
大和の古墳時代は、3世紀後半から4世紀より画期となりますが、紀ノ
川流域で首長墓と云える古墳は4世紀より見られるようになります。こ
こを本拠とした紀氏集団によるものですが、紀氏には紀臣と紀直の2系
統が明確にあり、紀臣は中央、そして紀直がいわゆる紀国造としてこの
地で勢力をふるった氏族であり、今回の古墳群の中では特に岩橋千塚古
墳群の造営主体と考えられています。
〇紀ノ川北側地域
1、車駕之古此古墳
・5世紀中頃。前方後円墳。墳丘長86m。
・日本で唯一の金製勾玉。
・塀(囲形)埴輪。家形埴輪を囲む塀を表す。(中の家形埴輪は無し)
・淡輪技法による円筒埴輪。フジ蔓や枝等を輪状にして埴輪の底部には
めて製作しており、底端部の外側に段が有る。紀伊山地を超えて北に
ある淡輪地域の西陵古墳や宇度墓古墳、西小山古墳などに限定して見
られる特徴。朝鮮半島の技術で、後には東海、尾張に展開していく。
2、鳴滝遺跡
・5世紀前半。大型倉庫跡。総柱構造で倉庫とわかる。
・長く続かなかったようで、火災で焼失したとみられる
3、大谷古墳
・5世紀後半。前方後円墳。墳丘長67m。
・日本で5例しかない馬冑が出土。朝鮮の新羅地域に類例有り。
・埋蔵施設は石棺を直葬する構造。
〇岩橋千塚古墳群地区
その一部は、紀伊風土記の丘として公園になっていて、資料館と共に
たっぷり歩けるハイキングコースが楽しめる所です。岩橋式横穴式石室と
言われる、結晶片岩を利用して築造された石室を持つのが特徴。板状の
結晶片岩を小口積みにし、玄室奥には石棚を持ち、左右壁に石梁を架け
ている事等が特異です。石室は風土記の丘公園でいくつか見学が可能み
たいです。
4、井辺八幡山古墳
・6世紀中葉。前方後円墳。墳丘長67m。
・西造出:角杯(角笛?)を背負う人物埴輪。
・東造出:入母屋造家屋。力士、鷹、水鳥の埴輪。
双脚輪状文形埴輪←頭に被るもの
・力士埴輪については、大日山35号墳の力士と共通性はないようで、紀
氏の古墳でない可能性有り。
5、大日山35号墳
・6世紀前半。前方後円墳。墳丘長105m。
・今城塚古墳の埴輪と類似する形態が見られる。一方で独創的な埴輪も有る
・高床式家形埴輪(高さ130cm。★3分割、円柱土台)
・家形埴輪の千木(上記の家形の一部かどうか不明)
・両面に顔の有る人物の頭部(国内唯一の出土例)
・力士埴輪(腕、胴、足部。★ポーズ、腹回りや足が太い)
・武人頭部と、巫女頭部(★島田髷が中空、耳の付け方に特徴)
・双脚輪状文形埴輪をかぶった人物頭部
・馬形埴輪(馬具や全体プロポーションは現物に忠実である)
・翼を広げた鳥形埴輪(円筒器台上に鳥。全国的に類例ない。鷹と推定)
★印:今城塚古墳の埴輪との類似性が有り、興味深い
東出雲王国の伝承では、紀国造の先祖は、アマ氏の始祖、天火明命の孫、
高倉下であり、この御方が丹後から葛城を経由して、紀ノ川河口に移住し
たのが始まりとしています。そしてその丹後にいた父が天香語山で、弥生
丹波王国の始祖となった御方と云えるようです。アマ氏とのつながりが想
定される高槻(安満遺跡、安満宮山古墳)で、2年連続でアマ氏と関係す
る可能性のある近畿地方の遺跡関連の展示を企画されたことは有難いと思
っています。