[Ⅴ]世界遺産 都江堰
観光も最終日、成都にほど近い世界遺産「都江堰」を見学しました。
全長が700kmを超える岷江は、四川省の険しい山々を縫って流れ下り、
最後は長江(揚子江)に合流する大河川・・・
都江堰が築造された場所は、岷江が山地から平地に出る境目で
昔から洪水を繰り返す治水の要の地・・・
この工事では魚嘴、飛沙堰、宝瓶口の3つの堰が建設された。
魚嘴は川中央の分水堤防で、岷江を外江と内江に分けるもの。
外江は排水用、内江は灌漑用に引水している。
飛沙堰は排沙と水量調節の役割を果たす。
宝瓶口は流入する水量を調節する堰で、口の形が瓶のネックのような形をしているのでこの名がついた。
内江の水は宝瓶口から四川の西の平原に流入し、農業用に使用されている。
この仕組み、大変よくできていて、今も研究者が視察に訪れる続けているという。
「資料より」
「都江堰」は四川省の省都・成都の西方約60km、岷江(みんこう)の中流部に位置し、
秦の時代(BC221~BC206)に築造された水利施設である。
岷江が山地から成都の平原に流れ込む位置に建設された。
この堰ができる以前は、激流のためよく災害が起こったものである。
2200年前の戦国時代に、秦国の蜀の太守、李氷とその息子が
合理的な仕組みを備えた古代水利施設の都江堰を建造し
岷江の氾濫による水害を治めるとともに、成都の大平原に岷江の水を引いて
地域に豊かな恵みをもたらし、後の秦の天下統一に大きく貢献したといわれている。
その後歴代の増修によって完全なものになったとされている。
以来、2200 年余りの時を経た現在も、農業用水ばかりではなく、
生活用水・工業用水をも賄って地域に豊かな恵みをもたらしている。
二王廟は、李氷親子の治水事業の功績をたたえて南北朝時代に建てられたもの。
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魚嘴は川中央の分水堤防で、岷江を外江と内江に分けるもの。
魚嘴先端部、四川大地震で損傷があったが、補修は工事は終わっているという