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あいづわくわく学園 法用寺三重塔・富岡十一面観音・高倉観音・左下り観音めぐり 会津美里町【6-2】

2013年08月15日 | 郷土史・史跡・施設
あいづわくわく学園
法用寺三重塔・富岡十一面観音・高倉観音・左下り観音めぐり 会津美里町【6-2】


25年度、地域の歴史・史跡などの現地学習第6回の2は会津美里町の法用寺・富岡十一面観音・高倉観音
左下り観音をアップしたいと思います。
画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。

雷電山法用寺 三重塔
画像クリックでスライドショーへ

法用寺は、寺伝によれば養老4年(702年)徳道上人によって創建・・・
恵寺(立木観音)(養老3年)に次いで会津では二番に古いお寺という
大同年間の火災で焼失、その後徳一大師が再建し、恵日寺の建立まで中心的な役割をはたしており、
多くの行者が住み33の坊があったという・・・

会津唯一の三重の塔で、第二層に飛騨高山の大工が明和5年(1768年)に描いた設計図版があるという
寺の創建以来再々建にあたり、新編会津風土記に1780年竣工と記載あり県重文指定・・・

観音堂内には、平安から藤原時代の作という仁王門の阿吽2体の木造金剛力士像が保存のため安置され、
厨子及び仏壇一具は1314年(正和3年)の銘が明らかな会津最古の厨子で、
金剛力士像2体と併せて国重文指定されています。

また、観音堂前には会津五桜のひとつ虎の尾桜があります。
雷電山という山号は、落雷があり平らかになった地に法用寺が創建されたことによるという・・・


日用山福生寺富岡観音堂 国重文指定


福生寺観音堂(富岡観音)は会津三十三観音霊場の第二十六番札所として広く信仰され
建立時期を示す棟札はないものの、文安3年(1146)の巡礼札が発見されており、木鼻や組物、粽柱等、
禅宗様を伝える会津中世建築の貴重な遺構として国重要文化財に指定されています

お堂内には像高約220cmの大きな十一面観音菩薩坐像が祀られているというが拝観は出来ませんでした。
隣接墓地内に四ツ目とよばれるキリシタン殉教者のお墓があります。・・・


高倉山観音堂


高倉観音は治承4年(1180年)後白河天皇の第2王子、高倉宮以仁王が平氏追討の命を受けて兵を挙げた時
守護仏である観音像を、その重臣、長沢大夫常春に下さったものを
この観音堂に安置したことから、そう呼ばれています。会津三十三観音霊場の第二十三番札所・・・
創建当時以来、何回かの移建により景勝の地を選び堂宇を遷し、現在の地にあるという
観音像は秘仏。お堂内の厨子の写真を撮らせてもらいました。


臨済宗左下山観音寺


左下り観音は会津三十三観音霊場の第二十一番札所。徳一大師の開山との云われもある・・・
建立以来1,000年以上といわれる左下り観音堂は、別名「くびなし観音」とも言われ、
山の中腹にある岩に懸造りした見事な三層閣で、廻りの縁から会津盆地が眺められました。

雨が降り続いた後で山道が川のようだったのを詰まっていた枝など払って流れを本流にもどし
先日来、熊情報が続いている地域でもあり皆で手を叩き、大声で歌って上りました。


史跡めぐり第6回の2は会津美里町の法用寺・富岡十一面観音・高倉観音・左下り観音・・・
天候が悪く国宝「一字蓮台法華経」拝観はなりませんでしたが「ころり三観音」の中田の観音はじめ
会津三十三観音のうち五観音をめぐったことになります。

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