不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Si Ritornano alla Ruota ?

2005-09-11 13:00:00 | うんちく・小ネタ
子供を捨てるという事件が増えてきているイタリア。
最新のデータ(とはいっても古いけど)によると
1997年から2002年までの5年間で10%の増加率。
増加率の高いのはシチリアとロンバルディア。
年間約300人の捨て子(生死は問わず)が保護されています。
この夏も立て続けに3件の捨て子事件が報道されていました。
表沙汰になっていない件数はもっと多いのかもしれません。
「ゴミ箱症候群(Sindrome del Cassonetto)」と
一部で呼ばれていたりすることでもわかるように
街中に置かれているごみ収集の大きなゴミ箱に
子供(乳児)をぽいと捨てる事件が増えているのです。

これを受けて、昔のシステムの見直しが検討されています。
イタリアに先立って、
ドイツ、スイス、スウェーデン、オランダ、ルーマニアなどでは
5年ほど前から徐々に導入されているそうです。
病院や養育施設の外壁に
子供を預けるための特設窓口の設置をイタリアでも検討中。

フィレンツェのサンティッシマ・アンヌンツィアータ広場に面して建つ
「捨て子養育院(Istituo degli Innocenti)」。
(嫌な名前だといつも思うけれど)
この壁にもかつて使われていた
「捨て子用回転扉(Ruota per Neonato)」が残っています。
イタリアでは各地で数世紀に亘って
こうしたシステムが機能していて、
匿名で子供を捨てることが可能だったのです。
もちろん生活状況が改善された時点で
自分の子供を引きとることも出来たので
子供を預けるときには
数年後にでも自分の子供と認識できるようなものを
一緒に置いていくのが慣わしでした。

古代ローマではcolonna lactariaの周りにおいて行く慣わし。
1500年代にはイタリア各地で孤児院施設が整備され
その外壁に小さな窓口が取り付けられました。
この窓口は乳幼児のみ受け付けることが出来るように
どれも小さいサイズに設定されていました。

1700年代の産業革命に伴って
女性の社会進出が進むと、
捨て子の数が急激に増えましたが
1875年にはこうした捨て子受け入れシステム自体が
政府によって廃止されています。

昨今では移民してくる人々が生活苦から
生まれたばかりの子供を捨てる事件が増えていること
それからイタリアでは1975年に導入された
「未婚女性の匿名出産許可」のおかげで
未成年者による出産も増えていて
その歪が捨て子という形で表れているとも言われています。
そういう状況を考慮して
古いシステムの再導入検討。
果たしてどういう方向に進むのか・・・。


イタリアでは孤児院出身の人に
多く見られる苗字というのがあって
トスカーナ地方ではインノチェンティ(Innocenti)、
ローマではプロイエッティ(Proietti)、
ナポリではエスポスティ(Esposti)などがその例。


Addio San Pietrini ??

2005-09-10 12:32:00 | アート・文化
ローマの街中で見かけるもの。
San Pietrini(サン・ピエトリーニ)はグレーの石畳。

ローマでは「Serci」とも呼ばれるこのグレーの味わい深い石畳は
5世紀にも亘って、ローマの街並みを彩り
ローマを舞台にした映画や芸術作品にもよく登場します。
いまやローマ人にとっては生活の一部、
欠かすことの出来ないエッセンスでもあるのですが
これが現代生活の支障になることもしばしば。
*イタリア語では「Selce」ローマ方言では「Sercio」

1500年代、馬車での移動がメインだった時代には
この石畳も問題のないむしろ好都合のシステムだったのかも。
しかし、現代では
エレガントに着飾った淑女の
ハイヒールの踵が石畳の隙間に挟まって
バランスを崩してあられもない姿になったり、
スクーターや車での移動の際には
程よい振動で肝臓まで痺れたり、
もっとサスペンションの悪い市バスでの移動では
消化不良を起こすほどの
激震に見舞われたりすることもしばしば。
雨が降れば表面がツルツルになって
滑りやすくなるなどの「危険性」以外に
この石畳の保存・修復・維持にかかる費用も莫大なものだし
かたかたガタガタと賑やかで
車内で話す声が聞こえにくいほどの
騒音の元凶だったりもするわけで。

そんなことを踏まえて
ローマ市ではこの「サン・ピエトリーノ」撤廃の方針。
歩行者エリアには
この伝統的な石畳を残すとはしているものの、
特に交通量の多いヴェネツィア広場(Piazza Venezia)、
ナツィオナーレ通り(Via Nazionale)、
カブール通り(Via Cavour)などは
全面的にアスファルトに敷きかえられることになりそうです。

12センチ四方に切り揃えられたこの石は
元々ローマ近郊のカステッリ(Castelli)の
採石場から切り出された火山岩。
1600年代にはアブルッツォ地方から
多くの石の切り出し・成型職人がローマに召喚されて
ローマ市内の道の舗装に当たったといわれています。
500年にも亘って利用されているだけに
磨耗や壊滅も激しく、頻繁に補修工事が必要ですが
国際事情の変化(グローバル化)に伴い、
昨今では
中国からの輸入石を利用することが多くなってきています。


ヴァチカン市国のサンピエトロ広場舗装の際に
使われたのが起源で
「サン・ピエトリーニ」という名前もそれに由来します。
因みに、その後は
サン・ピエトロ寺院建立そのものに携わった工員たちも
「サン・ピエトリーニ」と呼ばれていました。
1585年から当時の教皇シスト5世(Sisto V)が
ローマ市内の道路舗装に
サン・ピエトリーニを導入したのをきっかけに
この石畳は普及し、
1589年までにローマ市内の120の道が整備されました。
1736年にはコルシーニ家出身の教皇
クレメンテ12世(Clemente XII Corsini)が
コルソ通り(Via il Corso)の舗装化に努め
その後も石畳は普及を続け
1870年にはナヴォナ広場(Piazza Navona)もサン・ピエトリーニ化。

石畳の部品一つ一つは
12センチ四方もしくはそれよりも小さめの石ですが
地中に埋まっている部分は約17センチで、
ひとつの石の重さは3キロほどなのだそう。
(実際地中に埋まっている部分は錘状で
全体としては逆ピラミッド型をしています)
この石は歴史的にローマでの暴動の際には
道路から引き剥がされて大いに投げられたそうですが、
1968年の騒動を最後に
最近ではそういう光景も見られなくなったとか。

イタリアの美しい歴史を彩ってきたものが
またひとつ姿を消そうとしているのです。



ローマで短いヴァカンスを終えた
Spicchi*di*SoleのKiyominaさんの
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Buonissimo

2005-09-10 00:47:25 | Squisito!
In 10 anni non sono mai stata in questo ristorante.
Si mangia benissimo.
Il Guscio nella zona S.Frediano
immagine3.jpg

10年間フィレンツェに暮らしていて
行ったことがなかったレストラン。
最近になって立て続けに「おいしい」と噂を聞いたので
誘われて行ってきました。

味付けは濃い目なので、
「トスカーナ料理」ではあるけれど
下ごしらえに時間をかけているのが
はっきりわかるデリケートさも持ち合わせていて
確かに「絶品」のおいしさ。

アンティパストの「ソラマメのスフレ」でいちころになりました!
またすぐに行きたいお店!



Sentieri in Cinqueterre

2005-09-09 01:01:00 | 旅行記
国立指定公園にもなっているリグーリア州のCinqueterre。
その名が示すように5つの小さな漁村が等間隔で並んだ一帯を
チンクエ・テッレと呼びます。

5つの漁村は電車で移動も、遊覧船で移動も可。
遊歩道(というには険しい部分もあるけれど)で
繋がっているので、徒歩陸路で巡ることもできます。

いつもは5つの村の中で一番北に位置する
Monterosso(モンテロッソ)に泳ぎに行くだけでしたが
今回初めて「トレッキング」に挑戦。
ビリーと一緒に5つの漁村を果たして制覇できるのか?!


フィレンツェ出発 8:41
リオマッジョーレ到着 12時過ぎ(遅れた・・・)
ローカル線で
フィレンツェからピサ経由で3時間ちょっとの予定。
一人片道7,90ユーロ、ビリーは半額。

Riomaggiore(リオマッジョーレ)から
『愛の小路』と呼ばれる遊歩道が始まります。
このコースは「Sentiero N.2」。
海沿いを歩くコースで眺めは抜群。
トータルで約5時間の予定。

リオマッジョーレ駅を降りて左手に進むと
すぐに階段があってその上にチケット売り場。
このチケット売り場で
リオマッジョーレからモンテロッソまでの
通しのトレッキングチケットを購入。
一人3,00ユーロ、ビリーは無料。

Riomaggiore→Manarola(マナローラ)
ここは余裕のコース
所要時間20分
ビリーと一緒に写真撮りながら歩いて20分。楽勝。

Manarola→Corniglia(コルニーリア)
少しアップダウンがでてくるけれど
比較的平坦な行程でここも余裕のコース
所要時間60分
途中にいくつも遊泳ポイントがあるので
夏の暑い時期には泳ぐ楽しみもあるコース

Corniglia→Vernazza(ヴェルナッツァ)
アップダウンが厳しくなってくるコース
海から少し離れて内陸を行くため
眺めは楽しめなくなり単調で飽きてしまうかも
段差の大きな階段が続くので
ビリーの小さな体で上り下りするには辛かった
所要時間80分

ヴェルナッツァに辿り着くまでの
オリーブ畑の中でお昼休憩したので
結局ヴェルナッツァに到着したのは16時。

炎天下、ビリーは文句も言わずに
ひたすらぐいぐい歩き続けました。
結構楽しかったのかもねぇ。
久々の遠足だったので、ビリー。

時間的に余裕があればMonterossoまでも
トレッキングする予定だったけれど
Vernazza→Monterosso(モンテロッソ)は
行程中最長・最難所といわれるコースで
体力の消耗加減から
所要時間も見当が付かなかったので
最後の一区間は諦めて電車で移動。

Monterossoは5つの中で最も砂浜が広く整備された海岸。
ほとんどが有料ビーチになっているので
ビリーが泳げる場所は限られています。

よほど暑かったのか、ビリーは海を見るなり、
いつになく泳ぎたがりました。
無料ビーチを探して降りたはいいけれど
イモ洗い状態で込み合っていて
とてもビリーをリードから離して泳がせるわけにもいかず
ましてや、私が水着に着替える時間的余裕もなかったので
波打ち際でビリーの半身をバチャバチャやっておしまい。
念のために口輪もつけたままだったので
海岸で石ころも拾えなくて遊び足りないビリー。

不満げなビリー。
後ろ髪引かれる思いで
海を眺めるビリーの後姿が切ないのでした・・・。
フォトアルバム Cinqueterre 2005

電車に乗り込む前に腹を空かせたビリーにご飯を上げて
海水でべたべたになった体を拭いてあげて準備完了。

モンテロッソ出発 17:43
フィレンツェ着 20:33

帰りの電車ではすっかりおとなしくしていたビリー。
よほど疲れたのね・・・。

海は相変わらず透明度が高く美しく
久々のビリーとの遠出はとても楽しかった!
2005年夏の最後の最高の思い出になりました。


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Passeggiata sulle Terrazze

2005-09-08 11:24:38 | アート・文化
フィレンツェのドゥオーモ正面ファサード裏側よりドゥオーモ内部。

毎年9月8日のみ公開。
10:00から16:00までテラス部分にアクセスできます。

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9月8日は聖母マリアの誕生日であると同時に
ドゥオーモの誕生日でもあります。
709年前の9月8日に
ドゥオーモの礎石が置かれたのを記念してのイベント。