国立新美術館で開かれている「シュルレアリスム展」を観てきた。
パリ、ポンピデゥセンター所蔵作品の展示は、初めて見る画家・作品も多く、とても楽しめた。
ダダが運動だったとすれば、シュルレアリスムは方法の実践。
印象派からキュービズムまで、対象(オブジェ)を外に求めてきたアートが、
未来派・表現派など、概念や感情へとイズムの展開が進んだ中で、
ダダは、全否定・何でもありという一瞬を通過しようとする運動 . . . 本文を読む
矢内原美邦の今年の舞台、台詞中心の俳優から身体動作中心のダンサーによる
「あーなったら、こうならない」
映像のCG・コトバに触発されながら、神経症のような衝動としなやかさで動く身体どうしの関わり合いに、
どうなったら、こうなるのかを観る。 . . . 本文を読む
バンクーバー・オリンピック
フィギュア・スケート女子フリーの二人の違いは?
自分の挑戦を認めて貰うことと、客の為に自分を活かすこと。
立ち位置の違いだったのか?
結果は、銀と金。
曲想も情感も、
ロシアの重さから、日本の’モノの哀れ’にまで到達した、
浅田真央のフィギュア・スケートに乾杯!
ボンド・ガールは、早く公演の舞台で!
. . . 本文を読む
7月11日こまばアゴラ劇場で、矢内原美邦の「五人姉妹」準備公演を観た。舞踏を、衝動の原点に立ち戻り、ことばを頼りに組み立て直してきたような
ミクニヤナイハラ プロジェクトのvol.4。五人姉妹の多様な饒舌に結実! . . . 本文を読む
矢内原美邦さんの’07『青の鳥』9月23日の舞台を、吉祥寺シアターで観た。
「君のことは覚えているよ」 ではじまった’05.7『3年2組』
「あっというまに大人びているんだね」 ’06.7『青の鳥』
「そんで、また、コンニチハ」 ’06.12『さよなら』
’生命から動物・人間社会・今・これから・・・’ 07.03『no direction』
そして今度は、「口から無理に出そうと思わなくても」の . . . 本文を読む
『鉄コンン筋クリート』 を観る。
『ALWAYS 三丁目の夕陽』をピュアにしたような映画
弱さの暴力で支配してきたヤクザも、
幼さの暴力で守りあってきた少年も、
罪の境界を守ってきた刑事も、
「子供の城」のための街の解体・建設とともに、
人が関わりあってきた街が、消費の街へと変わりゆく、
街の夕陽を観ているようだ。
線で描かれたこの宝街の懐かしさ、複雑さは何なのだろう?
電信柱、絡み合うよう . . . 本文を読む
映画『しあわせ』
監督、音楽は、『男と女』と同じクロード・ルルーシュ、フランシス・レイ、
大人の恋愛ロードムービー。
映画は、舞台上の映像スクリーンを出入るする男、観客として見つめる女のシーンで始まり、それぞれの過去の回想の断片が、ロードムービーとして、さまざまな場所、美しい映像、肌触りの良い音楽でつながれてゆく。
ストーリーは、ダンス・パートナーでもあった夫の死後、
息子とともに親しくなった . . . 本文を読む
舞台『 no direction 』3月3日(土)19時30分公演を観る。
生命から動物・人間社会・今・これから
多様な方向があるということでも、方向が無いということでもなく、
重層する方向を共有している感覚
パナソニックセンター東京 有明スタジオで
舞台床から折りあがった観客席の斜面に、
転がり滑り落ちないように支える身体を抱えながら、
場・身体-無我・自我・超自我の交感を楽しむ。
耳障 . . . 本文を読む
国立新美術館に行きました。
ここは、東大生産技術研究所 跡でしょう。
産業展示館のように、人間スケールを超えた広さ、空間、導線の単純さは、
さすが産業建築家、黒川紀章の作品、
部品設計・部材生産の繰り返しはできても、
人間感性との呼応・純化は窺えず、
環境から際立って、浮きでている。
開館記念展が、「20世紀美術探検」と、勇んで入った驚きは三つ、
まず、西洋美術に呼応する脱亜入欧の歴史展示だった . . . 本文を読む
日常のしぐさは
踊りになると同時に
身体の衝動の表現にもなる。
言葉に多くを頼って置いてきぼりにされた身体、
閉じ込められていた衝動
矢内原美邦のパーフォーマンスは、
その命の衝動を押さえ込んでいた言葉をはずし、
日常のしぐさから身体の衝動を表に引き出し、
舞踏になってしまう手前で、表現する。
それは、
無意識に撮られた写真やビデオに垣間見るられる
だれにもある日常であるが、
深く掘りさげ、 . . . 本文を読む
渋谷音楽祭のブログをやってみるとしみじみ感じます。
普通に活動している時、人は発信し・受信している。
実はリアル生活・街暮らしは、発信・受信の膨大な繰り返しで、
相手が人でも自然でも、共振しつづけるような状態。
だから、祈りや伝達から、記述・印刷・放送・Webなど
コミュニケーションがメディアへと転換して、社会の規模は多くなってきた。
生活が村から街へ、都会へと規模が大きくなって、機能分化して . . . 本文を読む
”電車でのうたた寝から目覚めたら、見守ってくれていた人がいる・・・”
映画『珈琲時光』は、『東京物語』の小津安二郎監督へのオマージュとして、
『非情都市』などのホウ・シャオシェン監督2003年の映画です。 . . . 本文を読む