松葉ケ谷の四つ辻
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正面を行くと「妙法寺」、右斜め奥に「御硯水」「化生窟」、そして右の杜が「安国論寺」です。
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「松葉ケ谷根本霊場」
「根本」って時々目にしますが、どういう意味なんだろう?
・・・ルーツってこと?
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鎌倉市が設けている案内板がありました。
山号は「妙法華経山」です。
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境内の案内板がありました。
見どころたくさん!
左隅に描かれてる「化生窟」「御硯水」は以前、訪問させて頂きました。
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山門です。
一切の色彩を排除した、ひなびた感じがグーです。
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扁額には「安国法窟」と書かれています。
岩窟がご霊跡のお寺なんですね!
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正岡子規の歌碑がありました
正岡子規も法華経の篤信者だったようです。
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山門右側に閉じられた岩窟発見!
例のご霊窟とつながってるのかな?
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訪問したのは4月中旬。
ツツジがいい感じに咲いています!!
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境内の至る所に石灯籠があります。
それぞれに葵の御紋が刻まれていました。
・・・徳川家とつながりが・・・?
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本堂です。
水平方向に広がってゆく屋根が印象的です。
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寺紋なのでしょうか。瓦の一枚一枚に付いてます。
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あ、これですね!よ~く見ると松葉を3組、巴状に組み合わせた紋です。
まさに松葉ケ谷の寺紋ですね!
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ヤマブキですよね!黄色(ヤマブキ色?)が鮮烈です。
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大きな大きな足形。
お釈迦様の足形と思われます。
以前、厚木・依知の妙伝寺で、等身大(丈六)の釈迦如来像を見ました。5m近くあったかな~?
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「御小庵」です。現在の建物は元禄時代に尾張徳川家から寄進されたものだそうです。
徳川家とのつながりがありましたね~!
石灯籠は芝・増上寺の徳川家霊廟にあったものを移したもののようですよ。
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御小庵にはいろんな動物の彫刻がありました。
象の彫刻もありました。以前訪問した象ケ鼻もしかり、鎌倉時代に象・・・?とも思いましたが、仏教のルーツ・インドからは、動物の情報も伝えられていたのかもしれません。
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御小庵の傍らで咲くのは「妙法桜」です。日蓮聖人の杖が根付いたものだそうです。
実はこの桜、とても珍しい山桜の品種のようで、鎌倉市の天然記念物になっています。
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御小庵の裏側には「御法窟」があります。(御法窟の出口に御小庵が建っている感じです)
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日蓮聖人が鎌倉で辻説法をしていた時代、天災地変が続き、民衆は不安と苦しみにあえいでいました。
なぜこんなに天変地異や災害が続いて起こるんだろうか?と日蓮聖人は疑問を抱きました。
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日蓮聖人は、これらの原因は誤った仏法が広まった事に対する天誅と考えました。
日本国を救うためには、誤った仏法を正し、正しい仏法「法華経」に導くことが肝要だという「立正安国論」を、この御法窟で書き上げたのです。
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立正安国論は、旅人と主人の問答形式でわかりやすく書かれています。
立正安国論の代表的な一説が石碑になっていました。主人が旅人(汝)に速やかに法華経に帰依せよ、と説いた言葉です。
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熊王丸殿です。
日蓮聖人にお仕えした熊王丸が感得された鎮守様です。
いろんな霊験があるそうです。歯の痛みにもいいそうですよ~!
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山の尾根を登る階段
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その先には・・・おお~!鎌倉一望!
日蓮聖人は毎日、ここから富士山に向かって法華経を読まれていたそうです。
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尾根の途中に鐘楼があります。
毎日ここまで鐘を衝きに来るのは大変ですね・・・ご苦労様です!
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鐘に刻字されたお題目と・・・
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立正安国の文字は、お祖師様のご真筆を写したものだそうです。
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本堂の裏手になるんでしょうか。「南面窟」がありました。
先ほどの御法窟とは対面になります。
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立正安国論を時の権力者・北条時頼に献上したことが多くの念仏論者の怒りを買い、松葉ケ谷の焼き討ちに遭ってしまいます。
この時に一時退避したのが南面窟です。
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崩落防止のため、補強されていましたが、意外と奥行きのある岩窟です。
ここにしばらく身を隠していると、どこからか白い猿が現れ、日蓮聖人を名越のお猿畠(今の法性寺あたり)に導いたと言われています。
南面窟の奥には日蓮聖人像の隣に、お猿の石像が祀られていましたよ!
何だか嬉しくなりました。
最後にこんなご霊跡を拝むこともできました。
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「日朗上人御荼毘所」
日朗上人は松葉ケ谷で出家・得度しました。自分が死んだらこの地で荼毘に附して欲しいと遺言されていたようです。
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日蓮聖人のお弟子さんの中でも、最も日蓮聖人のお近くで仕え、苦楽を共にした日朗上人。
御廟は法性寺にあります。
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これまでに僕が訪問した多くのご霊跡に、日朗上人や日朗上人のお弟子さんが関わっています。
右腕を大怪我した材木座の別れや、龍ノ口の法難の時に土牢に幽閉されてしまったことなど、悲しい逸話が沢山ある一方で、誰からも敬愛されるお人柄で関東の宗門を築き上げた、とても優れた僧侶、それが日朗上人です。
日蓮聖人が鎌倉入りしたのが建長5(1253)年、佐渡に流される文永8(1271)年までの実に18年間、布教の拠点として、そして生活の拠点としていた松葉ケ谷。
随所で日蓮聖人の魂を感じ取ることができました。
ここも間違いなく「棲神の地」だと思います。