先日、鎌倉の本覚寺を訪問した時に、境内の花壇にありました。
「御車返し」
”みくるまがえし”と呼ぶそうです。
平安時代の京都に由来する桜で、一重と八重の花が混じって咲く珍しい品種だそうです。
御車に乗っていた後水尾天皇が、一重か八重か確かめたくて御車を引き返した事から、その名が付いたそうです。
その名前に刺激されて・・・
来ちゃいました!裾野!!
246号の深良新田下という交差点から細い道に入ります。
道ばたには茶畑。そろそろ八十八夜ですね!
裾野茶の生産が盛んな地域みたいですよ!
柔道場がありました。館内からは子供達の元気な声がしてました。
御殿場線の踏切を渡ると
すぐそこにお堂があります。
車返し霊場です。
「車返し」とはこの界隈の旧地名だと思われます。傾斜が急だとか行き止まりだとかで、そこから先は車で行けず引き返す場所、という意味だそうです。
立派な扁額ですね!
この題目法塔の裏側に、由緒が書いてありました。
佐渡赦免の後、幕府に3回目の諫暁をしましたが受け入れられず、文永11(1274)年5月12日に日蓮聖人は鎌倉をあとにし、身延に向かいました。
12日に酒匂(今の法船寺)、13日に竹之下(今の常唱院)に宿泊され、14日にここ車返しにご一泊されたそうです。5月14日・・・僕の誕生日!(笑)
明応年間(室町時代でしょうか)に、ここにお堂が建てられ「上原山最復寺」と称したそうです。
その後、三島の本覚寺の所轄となったそうです。
日蓮宗ポータルサイトの寺院めぐりを見てみると、この付近に「車返し結社」があるそうです。
このご近所の信仰の篤い方々が、車返し霊場を維持・管理して下さっているのだと思われます。
ご苦労様です。
お堂の隣に小さな祠。
中には石仏が祀られていました。僕、仏像は詳しくないのでわかりませんが、手が8本ありましたよ!
近隣の篤信者の方々による題目塔や供養塔、馬頭観音などが並んでいました。
日蓮聖人生前の身延入山の時だけでなく、池上でご入滅後にご真骨が身延に運ばれる際にもここにご一泊されている、とも刻まれていました。
日蓮宗の檀信徒にとって、今でもお祖師様を近くに感じられるありがたいパワースポットです。
末永く清められてゆく事を願ってやみません。