日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

楞厳山妙法寺(鎌倉市大町) 

2017-05-07 20:50:16 | 旅行
鎌倉・松葉ケ谷。
日蓮聖人の鎌倉での布教の拠点であり、立正安国論起草の場であり、そして数々の法難の現場となった地です。


これまで石井山長勝寺、妙法華経山安国論寺を参詣させて頂きましたが、松葉ケ谷にはもう1ケ寺あり、どうしても参詣したく伺ってきました!


松葉ケ谷の四つ辻に、日蓮聖人のご草庵があったことを示す石柱があります。
「京都本圀寺舊地 鎌倉三箇之本山」
長勝寺の石碑にも似たような事が刻まれていましたが、いずれにせよ、もともと松葉ケ谷に本圀寺法華堂があり、のちに京都に移したようです。


妙法寺の遠景です。
三方を山に囲まれており、「山懐に抱かれた」という言葉が似合いそうな古刹です。
当日は、総門前の古木を切り出す作業をしており、総門の画像はありません。



受付で拝観料をお支払いすると、お線香に火をつけて下さいました。
僕は個人的にこのシステムに賛成です!よく考えられていると思います。
まずご本尊に手を合わせるという流れに、ごく自然になりますもんね!


本堂です。
重厚ですね~!肥後の殿様・細川斉茲公が寄進したそうですよ。


山号は「楞厳山」(りょうごんさん)です。
お寺でいただいた縁起によると、第5世の日叡上人の幼名(楞厳丸)が山号の由来だそうです。
日叡上人は、京都本圀寺を実質開山された日静上人のお弟子さんで、京都から鎌倉に下り、松葉ヶ谷のご草庵跡に妙法寺を創建されました。
なので妙法寺の開山は実質的には日叡上人、自らは5世となり、1~4世に師僧の方々を仰いだ形になっているのだと思います。
鎌倉の日蓮宗門としては、異例の勅願寺だったそうです。


蓮が栽培されてました。
日蓮宗の実に多くのお寺で、このように蓮の水鉢を見ることができます。


大覚殿です。
法華経の篤信者だった加藤清正公の像が安置されているそうです。
この建物も、細川氏の寄進によるそうです。細川家とのご縁が深いお寺なんですね!


講中発見!
外神田講中~


仁王門です。
朱に塗られています。徳川11代将軍家斉公がよく妙法寺に参拝に来られていたからだそうです。東大の赤門や、増上寺の三門なんかも朱塗りですよね!


仁王門越しに見た苔石段です。
人工物と自然がものすごくいい感じで融合すると、こういう景色になるんでしょうね・・・



法華堂です。
厄除けのお祖師様が祀られているそうです。
日叡上人が作られたお像だそうです。昔の高僧たちは彫刻の腕も一流だったのですね!


ご草庵跡です。
安国論寺境内にあった初めのご草庵で立正安国論を起草され、のちに焼き討ちに遭いましたが、翌年鎌倉に戻られた日蓮聖人は、ここに第二のご草庵を開いたのかもしれません。


日叡上人のお父様、護良(もりよし)親王のお墓があるようです。行ってみましょう。


護良親王は後醍醐天皇の息子さんです。武芸に長け、後醍醐天皇による鎌倉倒幕の立役者の一人と言われています。
隠岐に流されていた後醍醐天皇が復権し、日像上人が苦労して京都に開いた妙顕寺は、綸旨を賜り勅願寺になったのです。


ともに倒幕に努めた足利尊氏公とはソリが合わず、護良親王は鎌倉に幽閉されたのち、殺害されてしまったそうです。


妙法寺を囲む山の尾根伝いには、
南之方(日叡上人の母君)のお墓


日叡上人のお墓
などがありました。素晴らしい景色が眺められる場所に、篤く弔われていましたよ。


あ~、来てよかった!心のデトックスができたような気がします。

印象としては、この境内が一つのお仏壇になっているような感じがしました。
三方をお山に囲まれており、ご本尊があって、お位牌があって、お花が供されていて、いつも清められていて・・・
ここでお勤めしたら気持ちいいだろうな。

それもこれも、妙法寺とそのお檀家さんが、お祖師様のご霊跡である広大な寺域(そのうえ急峻なお山を背負っている)を、ほんとうに大切に維持して下さっているからなのだというのが、よ~くわかります。

ありがとうございます。また参詣に来ます!