伊東の地頭・八郎左衛門尉祐光(すけみつ)公から「日蓮は大罪人だから匿ったり庇ったりしてはならん」との布告が出ていたため、1ヶ月以上も川奈の岩窟に身を隠さなければならなかった日蓮聖人

この状況からどうやって立場を回復していったかが、本当に疑問でした。
・・・キーマンは布告をした張本人・八郎左衛門尉祐光公のようです。

伊東朝高(八郎左衛門尉祐光)公の邸があった場所に、日蓮宗のお寺があります。

いろいろな逸話がありそうなお寺です。

海上山佛光寺です。
日蓮聖人が川奈のお岩屋に匿われていたまさにその頃、伊東朝高(八郎左衛門尉祐光)公は原因不明の熱病にかかり、苦しんでいました。
信仰していた念仏による祈祷の効果もなく、医者の治療も及ばないほどの大病だったそうです。

もう打つ手がなく困り果て、法華経でさえ効くならば、と、家臣が日蓮聖人の所在を探し当て、祈祷を依頼しました。
邸に連れてこられた日蓮聖人が枕元で祈祷すると、数日で大病が治癒したそうです。

喜んだ伊東朝高(八郎左衛門尉祐光)公は、お礼に日蓮聖人に釈迦如来立像を差し上げました。
この立像は伊東の海で地引き網に掛かって引き上げられたもので、伊東家の家宝だったものでした。
日蓮聖人はこの立像を生涯肌身離さず持ち続けました。
おそらく同じ大きさの釈迦如来立像が、境内の六角釈迦堂に安置されていましたよ。

このブログの資料としてフル活用させて頂いている「高祖日蓮大菩薩御涅槃拝図」(大坊・本行寺で購入)にも立像が描かれています。
ご入滅された日蓮聖人のいちばん近くに、置かれています。
実物は現在、京都の本圀寺に格護されているようです。大切な、大切な宗宝ですね!

佛光寺の歴代お上人の御廟に参拝させて頂きました。
開祖が自邸を仏光寺にした日預上人(伊東朝高=八郎左衛門尉祐光)、二祖が日朗上人のお弟子さんで九老僧の日印上人です。

人なつこい寺犬~!!
段ボール箱がめちゃめちゃ居心地よさそう。

今週の講中~!
「甲子講」「十二夜講」「立正講」の方々~!!!

日蓮聖人の監視役だった地頭の大病を治しちゃいましたね~!
何か、ここから少しずつ、形勢が変わってゆくような気がします!!
佛光寺前の通りは

「毘沙門天通り」
次の展開につながるキーワードなんです!
次号を待て!!