山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

心とけた夕べの水をまく

2005-08-28 01:31:11 | 文化・芸術
uvs050420-010

<芸能考-或は-芸談>-01

<「踊り念仏」と「念仏踊り」>

<踊り念仏>と<念仏踊り>はカレーライスとライスカレーのようにまったくイコールというわけにはいかないようである。
<踊り念仏>とは、日本の多くの芸能がこれを母体にして生れてきており、あらゆる種類の信仰的要素がこれに結びつき庶民のあいだで伝承され、庶民信仰の本質がかくされているともいいうるものである。
<踊り>と<念仏>の出会いは、底辺の民の心と生活のなかからいわば自然発生的に生れたもので、いわば庶民ベースの上であったから、初期の<踊る-念仏>は宗教的要素が強かった。この場合、<踊り念仏>であるが、すべからく踊りや歌は宗教的発祥をもちながら、しだいにその要素を稀薄にして、娯楽的要素を濃厚にしてゆくものである。このような段階に至ると<念仏踊り>とよばれるように変化していく。


<踊り念仏>は近世に入って急速に<念仏踊り>化する。
<六斎念仏>はもとはといえば念仏の詠唱に簡単な所作=踊りを加えただけのものだったが、京都その他各地の六斎念仏は念仏がまったく脱落してひたすらさかんに踊るので、今では六斎マンボなどと冷やかされもするという話がある。
いまに残る各地の民俗芸能-太鼓踊りや羯鼓(カンコ)踊り、棒踊りや太刀踊りも、ほとんどすべてが<風流念仏踊り>、あるいは<風流大念仏>とよばれたものである。仮装や仮面をつける剣舞(ケンバイ)や鹿(シシ)踊り、角兵衛獅子のような一人立獅子舞や鬼浮立(オニフリュウ)、女装円舞の小町踊りなども、風流念仏踊りである。
かくしてすべての盆踊りが、多少宗教性を残した娯楽的念仏踊りということになるのだが、今日、阿波踊りを「踊る阿呆に見る阿呆」と踊る人々が、念仏踊りを踊っていると考えることはまずありえないだろう。江戸前の粋とされた「かっぽれ」もご同様で、勧進聖たちの零落した願人坊(ガンニンボウ)の念仏踊りであったとされている。


<踊り念仏>からさまざまな<念仏踊り>へと移りゆくなかで日本の芸能は多様な花を咲かせてきたのだが、これらの系譜をたどりなおすことはなかなか興味つきない世界ではある。

  ――参照:五来重「踊り念仏」 平凡社ライブラリー刊

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