山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

葦辺行く鴨の羽がひに霜降りて‥‥

2007-01-05 12:46:08 | 文化・芸術
Waotugu

-表象の森- 和を継ぐものたち

日本に固有のさまざまの伝統芸能にあるいは工芸の世界に生きる人々、
小松成美「和を継ぐものたち」小学館には22人の伝承の芸に日々研鑽する各界の人たちが登場する。
棋士、津軽三味線、篠笛、弓馬術、和蝋燭、薩摩琵琶、狂言、能楽、漆工芸、釜師、香道、落語、扇職人、文楽の人形方、尺八、鵜匠、刀匠、木偶職人、書道、纏職人、筆職人、簪職人と、世代は20代から60代にまたがり、若手から中堅・ベテランが22名登場するが、それぞれの一筋の道を貫く姿勢には軽重もなければ遜色もない。
舞台の表現世界に久しく関わってきた私などには、想像の埒外にある見知らぬ世界、和蝋燭や茶の釜師、からくり人形の木偶職人や火消しの纏職人らの語るところに、大いに興も湧き惹かれるものがあった。
たとえば、からくり人形師の玉屋庄兵衛は江戸の享保時代から300年近く続く名跡であり、その伝統の技を今に伝えているという点では現・庄兵衛氏は世界にただ一人のからくり人形師ということになる。
当時隆盛を極めたそのからくり人形が、御三家筆頭の尾張藩をメッカとし、国内需要の9割方も尾張地方で作られていたというから驚かされる。木曽のヒノキや美濃のカシ、カリンなど、人形の素材たる木材の集積地だった所為もあるのだろうが、代々受け継いできた門外不出の技の占有ぶりをも物語ってあまりある。
ともあれ本書は、この国のさまざまな伝統技芸の世界に、その職人たちの生の言葉を通して触れえるのがすこぶる愉しい。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-37>
 雲凍るこずゑの空の夕月夜嵐にみがく影もさむけし  光厳院

光厳院御集、冬。
邦雄曰く、初句「雲凍る」、第三句「嵐にみがく」、いずれも冴えた強勢表現で、寒夜の凄まじい風景を活写している。墨絵の樹々が、逆立つ髪さながらのこずゑを振り乱すさまが下句に盡されている。「散りまよふ木の葉にもろき音よりも枯木吹きとほす風ぞさびしき」が一聯中に見え、同工異曲ながら、いずれも結句の直接表現が、余韻を失わぬ点を買おう、と。


 葦辺行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕べは大和し思ほゆ  志貴皇子

万葉集、巻一、雑歌、慶運三(706)年丙午、難波の宮に幸しし時。
邦雄曰く、難波の葦は万葉の頃すでに聞こえていた。天智天皇の皇子志貴皇子の作は万葉集に6首のみだが、「采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く」等、いづれも冴えた調べだ。この歌「葦辺行 鴨之羽我比尓 霜零而 寒暮夕 倭之所念」と書くと、さらに情景も真理も際やかになってくる。行幸は九月二十五日から十月十二日までと伝える、と。


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志賀の浦梢にかよふ松風は‥‥

2007-01-03 23:48:40 | 文化・芸術
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-世間虚仮- 成長のリズム

子どもの成長のリズムというものは個体差のはげしいものではある。
幼児から子ども(児童)へ、10月で満5歳となったわが家の幼な児のこの頃は、その過渡期の真っ只中にあるらしい。そこでは親と子の交わりようもどんどんその姿を変えてくるものだ。


昨日は、正月早々体調を崩したらしい連れ合いに代わって、幼な児のお相手となった。
さてどうしたものかと思案の末、天満の天神さんへと出かけてみた。
「外の見える電車に乗りたい」という幼な児の望みに応えて、環状線で弁天町から天満へと、わざわざ天王寺経由で遠廻りしたら、さすがに堪能した様子。
初詣に天満宮へは何度かあるはずだが、南北2.6キロ、日本一という天神橋筋商店街を長々と歩いて参詣するのは、大阪人のくせに恥ずかしながらこの年になって初体験。
人が溢れ、にぎわう雑踏、食事処やパチンコやゲームセンターなど店々も満員盛況のありさまで、なにやら昔懐かしい光景をみるような想いにとらわれる。
昨秋オープン以来、満員御礼がつづくという天満天神繁盛亭もとても寄席小屋とは思えぬ偉容で、正月気分の晴れやかさに花を添えている。
満5歳の幼な児と二人、手をつないでの道行きは4時間ほどに及んだが、彼女にとってもなかなか味わえぬ世界、記憶の隅に刻み込まれる経験ではあったろう。


一夜明けて、連れ合いも幾分か体調を戻したとみえ、今度は三人揃っての住吉さん参りと相成る。
例によって、二人で引いたお神籤はともに中吉、有り難くもないが障りもなし。
歌は小侍従の
「住吉とあとたれそめしそのかみに月やかはらぬ今宵なるらむ」
帰路、母と子は、近所の商店街に立ち寄り、カイトを買って、いつも遊ぶ公園の横のグランドで、凧揚げに興じていた。糸元を握って懸命に走る幼な児は、すぐに旋回するように走るから、凧糸は緩んでしまってせっかく揚がりかけた凧も揚がりきらないまま墜ちてしまう。何度やっても同じ失敗を繰り返していたようだったが、まだ無理もない年ごろか。


この凧揚げひとつ、独りでできるようになる頃は、もう完全に幼児卒業ということになろうが、幼児から子ども(児童)の世界への成長変化は、幼児段階では個別不均等に発達していた運動能力や知的能力、感情の豊かさなどのそれぞれの要素が、それなりに統合されてくること、予見とコントロールを有するようになることなのだろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-36>
 乱れつつ絶えなば悲し冬の夜のわがひとり寝る玉の緒弱み  曽根好忠

好忠集、毎月集、冬、十月下。
邦雄曰く、思い乱れて、そのまま絶え入ってしまうなら無念なことだと、冬夜の独り寝の、忍辱の苦しさを吐露する。連用形であたかも絶句したように一首が終わるのも、手の込んだ技法のうちであろう。「寒からで寝ざめずしあらば冬の夜のわが待つ人は来ずはそをなど」が一首前に置かれる。来てくれない、それをどうして咎めようかと、女人転身の詠唱、と。


 志賀の浦梢にかよふ松風は氷に残るさざなみの声  藤原良経

秋篠月清集、一、二夜百首、氷五首。
邦雄曰く、寒中の松風を凍るさざなみの声と隠喩で、きっぱりと表現したこの技法、まさに詩魂の生む調べであろう。「松風は」と、ためらいもなく指し示す上句も、良経の潔さであった。この歌、作者21歳12月中旬の秀作。速詠にもかかわらず、律呂乱れず秀作に富む。「大井川瀬々の岩波音絶えて井堰の水に風凍るなり」も氷の題の中の出色の作、と。


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降り晴るる朝けの空はのどかにて‥‥

2007-01-02 20:04:00 | 文化・芸術
Ichibun9811270931

-四方のたより- 新年のごあいさつ

十干十二支ひとめぐりして吾は三歳の幼な児なりき

  恙なく新しい年を迎えられたでしょうか
  本年もご高配のほど宜しくお願い致します


「貧困の世襲化」
毎日新聞12月29日付「記者の目」欄
「06年に一言」連載にあった見出し語
我が意を得たり、と膝叩く思いがした
政治家たちと高級官僚たちによる、この国の舵取りは
洪水神話の方舟のごとく、いたずらに明日なき漂流をするか


 ぼくらが、ぼくら自身の表象世界において
 何十年もこのかたずっと、そして此の後もずっと
 明日をも見えぬ漂流を、ただひたすら続けてゆくのとは
 訳が違うだろう、というものだ


凝れば妙あり、といい
また、凝っては思案に能はず、という
されば、思案の外に、妙を温ねむか


    平成19(2007)年 丁亥元旦    四方館亭主


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-35>
 山川の氷も薄き水の面にむらむらつもる今朝の初雪  順徳院

続拾遺集、冬、百首の歌よませ給うけるに。
邦雄曰く、単に川に張った氷の表面に降る雪ではなくて、結氷しつつある危うく怪しい薄氷の上に、溶けつつ降り積もる雪。「むらむらつもる」は、むら消えしつつ積る感だ。「初雪」であることも生きてくる。家集、紫禁和歌草では二百首歌の中に見え、満19歳の製作と覚しい。後鳥羽院に勝るとも劣らぬ早熟の天才であることは、この作にも明白である、と。


 降り晴るる朝けの空はのどかにて日影に落つる木々の白雪  覚誉法親王

風雅集、冬、朝雪を。
邦雄曰く、まことに克明で周到な描写、殊に上句は危うくくだくだしくなる寸前まで来ている。「降り晴る」とは、一時降って後ただちに晴れ上がることである。この一首、第四句「日影に落つる」で、わずからゆるんで梢の雪が、ひととき光りつつ崩れ落ちるさまが浮かんでくる。作者は花園帝第2皇子、聖護院門跡、風雅集入選5首、勅撰入集は計29首、と。


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