―日々余話 三年前の今日
とうとう、か‥、やっと、か‥、
とにかくも、あの夜から、丸三年が経った
あの、忌まわしい事故が起きたのは、午後8時15分頃
私の携帯に、報せが入ったのは、午後9時を少し過ぎていたか‥
事故直後より、おまえは、ただ眠りつづけ、5日後に逝った
その一周忌に、私は、「おまえは悲母観音になるのだ」と祈った
今日、久しぶりの墓参、ただ独りきり、花を手向け、観音経を読誦したが‥
おまえは、もう、悲母観音になったかい‥‥
―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-243
9月9日、相かはらず降つてゐる、そしてとうとう大雨になつた、遠雷近雷、ピカリ、ガランと身体にひびくほどだつた、多分、どこか近いところへ落ちたのだらう。
午後は霽れてきた、十丁ばかり出かけて入浴。
畑を作る楽しみは句を作るよろこびに似てゐる、それは、産む、育てる、よりよい方への精進である。
出家-漂泊―庵居-孤高自から持して、寂然として独死する-これも東洋的、そしてそれは日本人の落ちつく型-生活様式-の一つだ。
魚釣にいつたが一尾も釣れなかつた、彼岸花を初めて見た。
夕方、樹明兄から珍味到来、やがて兄自らも来訪、一升買つてきて飲む、雛鳥はうまかつた、うますぎた、大根、玉葱、茄子も、そして豆腐も。
生れて初めて、生の鶏肉-肌身-を食べた、初めて河豚を食べたときのやうな味だつた。Comfortable life 結局帰するところはここにあるらしい。
※表題句の外、8句を記す
Photo/「Soulful Days 逆縁-或る交通事故の顛末-」表紙
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