山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

起きるより土をいぢつてゐるはだか

2011-09-09 17:11:27 | 文化・芸術
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―日々余話 三年前の今日

とうとう、か‥、やっと、か‥、
とにかくも、あの夜から、丸三年が経った

あの、忌まわしい事故が起きたのは、午後8時15分頃
私の携帯に、報せが入ったのは、午後9時を少し過ぎていたか‥

事故直後より、おまえは、ただ眠りつづけ、5日後に逝った
その一周忌に、私は、「おまえは悲母観音になるのだ」と祈った

今日、久しぶりの墓参、ただ独りきり、花を手向け、観音経を読誦したが‥

おまえは、もう、悲母観音になったかい‥‥

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-243

9月9日、相かはらず降つてゐる、そしてとうとう大雨になつた、遠雷近雷、ピカリ、ガランと身体にひびくほどだつた、多分、どこか近いところへ落ちたのだらう。
午後は霽れてきた、十丁ばかり出かけて入浴。
畑を作る楽しみは句を作るよろこびに似てゐる、それは、産む、育てる、よりよい方への精進である。
出家-漂泊―庵居-孤高自から持して、寂然として独死する-これも東洋的、そしてそれは日本人の落ちつく型-生活様式-の一つだ。
魚釣にいつたが一尾も釣れなかつた、彼岸花を初めて見た。
夕方、樹明兄から珍味到来、やがて兄自らも来訪、一升買つてきて飲む、雛鳥はうまかつた、うますぎた、大根、玉葱、茄子も、そして豆腐も。
生れて初めて、生の鶏肉-肌身-を食べた、初めて河豚を食べたときのやうな味だつた。Comfortable life 結局帰するところはここにあるらしい。

※表題句の外、8句を記す

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Photo/「Soulful Days 逆縁-或る交通事故の顛末-」表紙


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日照雨ぬれてあんたのところまで

2011-09-08 23:43:45 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-242

9月8日、酔中、炊いたり煮たり、飲んだり食べたりして、それを片付けて、そのままごろ寝したと見える、毛布一枚にすべてを任しきつた自分を見出した。
雨がをりをりふるけれど、何となくほほゑまれる日だ。 -略-
其中庵へ行つた、屋根の葺替中だつた、見よ、其中庵はもう出来てゐるのだ、夏草も刈つてあつた、竹、黄橙、枇杷、蜜柑、柿、茶の木などが茂りふかく雨にしづもり立つてゐた。‥
米はKさんが、塩はIさんがあげます、不自由はさせませんよといつて下さる、さて酒は。‥
百舌鳥の最初の声をきいた、まだ秋のさけびにはなつていない。 -略-
けさ撒いてゆふべ芽をふく野菜もある、昨日撒いたのに明日でなければ芽ふかないのもあるといふ、しよつちゆう、畑をのぞいて土をいぢつて、もう生えた、まだ生えないとうれしがつてゐる、私までうれしくなる。 -略-
いろんな虫がくる、今夜はこほろぎまでがやつてきて、にぎやかなことだつた。

※表題句の外、3句を記す


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Photo/北の旅-2000㎞から―富良野、フアーム富田にて-’11.07.25

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枯れようとして朝顔の白さ二つ

2011-09-07 23:54:07 | 文化・芸術
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―日々余話― 由らしむべし知らしむべからず

そのとき、私は愕然とした――

そうか、そうだったのか、それが事の本体か‥、なんということ、これは‥、この問題は、そういことだったのか。

問題の渦中にある者、それがのっぴきならない問題であればあるほど、肝心の当事者が、その問題の本質を見きわめるということはほんとうに難しい、困難極まることだと、つくづく思い知った。

事はもう25年前、’86-S61-年5月の出来事、一方の当事者は私自身である。それは一定の法的手続きが採られるに至ったことなのだが、その手続きの採りよう、それがどうしても臓腑にしっかりと落ちず、小さな瘡蓋のようなものになったまま、とうとう今日まできてしまったのだが‥。

この両三日ほど、否やもなくまたぞろこの問題に向き合わねばならなくなって、それこそ文字どおり肚を据えて考えていたのだが、雷にでも打たれたかのごとく突然、問題の本質が見えたのだった。それはまさに有ってはならぬ、人としてとんでもない事なのだが、その事にはっきりと思いあたったのだった。

これはまさしく「由らしむべし、知らしむべからず」の支配者の論理-
人が他方を人として侮り、知-無知の、支配-被支配の構図に置かなければ、けっして為しえないこと――それが事の本質だったのだ。

考えてみれば、仮に私が当事者ではなく、交わりのあるなしに拘わらず他者からの相談ごととして、このような類似の問題に第三者として直面していたとすれば、おそらく大した苦労もせずその問題の本質を見ぬき得ていた筈だろうに、当事者であったがゆえに私は、四半世紀もの間、見れども見えぬ、朦朧とした雲霞のなかにうち過ごしてきてしまったのだ。

 ――この件については、あまりに極私的ゆえ、これ以上具体的には綴れないのです――

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-241

9月7日、朝、天地清明を感じた、いはゆる秋日和である、寒いほどの冷気だつた。
-略-、今日の午後は、樹明さんと冬村君とが、いよいよ例の廃屋を其中庵として活かすべく着手したとの事、草を刈り枝を伐り、そしてだんだん庵らしくなるのを発見したといふ、其中庵はもう実現しつつあるのだつた、何といふ深切だらう、これが感泣せずにゐられるかい。
明日は私も出かけて手伝はう、其中庵は私の庵じやない、みんなの庵だ。
樹明さんからの贈物、-辛子漬用の長茄子、ニンヂンのまびき薬、酒と缶詰。
真昼の茶碗が砕けた、ほがらかな音だつた、真夜中の水がこぼれた、しめやかにひろがつた。‥
一つの風景-親牛仔牛が、親牛はゆうゆうと、仔牛はちよこちよこと新道を連れられて行く、老婆が通る、何心なく見ると、鼻がない、恐らくは街の女の成れの果だらう、鐘が鳴る、ぽかぽかと秋の陽が照りだした、仰げばまさに秋空一碧となつてゐた。‥

※表題句の外、4句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―札幌の時計台-’11.07.25


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まがつた風景そのなかをゆく

2011-09-06 23:00:07 | 文化・芸術
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―四方のたより― 樹木希林のCM-雑草篇

「やっぱりひとりがよろしい雑草」と、山頭火のよく知られた句を呟く樹木希林――
バツクには福山雅治が歌う「家族になろうよ」が流れ、
ややあって、前句をひとひねりしたかのように「やっぱりひとりじゃさみしい雑草」と呟く――、
そんなモノローグのCMがこのところ眼を惹くが、これはどうしても耳に触る。

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山頭火には、前句に対照するかのように「やっぱりひとりはさみしい枯草」という句があるのを、ご存じの人も多い筈、
ひとりがよろしい雑草-は昭和8年、ひとりはさみしい枯草-のほうは昭和11年と、句作の時期が離れるが、ともに小郡其中庵時代の句作で、後者は、いわば対句のように、前者の存在を抜きにしては生まれ得ない。
CMの制作者も、また樹木希林も、このことを知らぬわけでもなかろうに、あえてそういうデフオルメをしたのだろうが、これでは下手をすると、山頭火の句作においても
「やっぱりひとりがよろしい雑草」-「やっぱりひとりはさみしい枯草」の対照が、
「やっぱりひとりがよろしい雑草」-「やっぱりひとりじゃさみしい雑草」へと転移してしまう誤解が生じかねないし、実際そういう受けとめをしている人たちをかなり生み出してしまっているようだ。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-240

9月6日、3時になるのを待つて起きた、暫時読書、それから飯を炊き汁を温める。‥
気分がすぐれない、すぐれない筈だ、眠れないのだから。
昨日は誰も訪ねて来ず、誰をも訪ねて行かなかつた、今朝は樹明さんが出勤途上ひよつこり立ち寄られた、其中庵造作の打合せのためである、いつもかはらぬ温顔温情ありがたし、ありがたし。
-略-、夜は樹明、冬村の二兄来庵、話題は例によつて、其中庵乃至俳句の事、渋茶をがぶがぶ飲むばかりお茶うけもなかつた。
今日うれしくも酒壺堂君から書留の手紙がきた、これで山頭火後援会も終つた訳だ-決算はまだであるが-、改めて、私は発起賛同の諸兄に感謝しなければならない、殊に緑平老の配慮、酒壺堂君の斡旋に対して。

※表題句の外、3句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―苔の洞門にて-’11.07.25

三日月、遠いところをおもふ

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-239

9月5日、曇、どうやらかうやら晴れそうである。
つつましい、あまりにつつましい一日であつた、釣竿かついで川へ行つたけれど。――
彼から返事が来ないのが、やつぱり気にかかる、こんなに執着を持つ私ではなかつたのに!
ふと見れば三日月があつた、それはあまりにはかないものではなかつたか。――
  三日月よ逢ひたい人がある –彼女ぢやない、彼だ-
  待つともなく三日月の窓あけてをく –彼のために-
この窓は心の窓だ、私自身の窓だ。
-略- とうしても寝つかれない、いろいろの事が考へられる、すこし熱が出てからだが痛い、また五位鷺が通る。
とぶ虫からなく虫のシーズンとなつた、虫の声は何ともいへない、それはひとりでぢつと聴き入るべきものだ。
味覚の秋―春は視覚、夏は触覚、冬は聴覚のシーズンといへるやうに―早く松茸で一杯やりたいな。-略-

※表題句及文中句の外、3句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―支笏湖にて-’11.07.25


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雨ふるふるさとははだしであるく

2011-09-04 14:09:56 | 文化・芸術
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―四方のたより― 鳴り物入りの不発弾

台風12号は山陰沖に去ったというのに、なお近畿南部などには豪雨警報もあり、台風一過とはなかなかいかないらしい。
その台風襲来のなか、3、4日の両夜、木津川縁の一隅で催されているのが件の催し。

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音楽、ダンス/舞踏、パフォーマンス、映像、朗読等、
ミクストメディアのアーティストによるコラボレーション、即興表現の祭典-
その名も「PERSTECTIVE EMOTION WEST」と題されている。
出演のメンバーは全国各地から駆けつけているが、さすがに昨夜は台風の影響で、予定のメンバーが3名欠けたなかで行われた。

さりながらこのイベント、出演者たち関係者たちにとってある種の祝祭空間となりえたとしても、残念ながら、関係者以外の観者らにとっては、はっきりいって苦行以外のなにものでもない。
集まった多彩な顔ぶれも、それぞれにおいて技倆的落差もはげしいのだが、そんなことよりも、この祝祭を貫く方法論的仕掛自体に大いに問題がある、と言わざるをえない。

その仕掛とは、第1部「シャッフル1」Duo、第2部「シャッフル2」Trio、第3部「生まれくる集合による即興」といういたって単純なものだが、私はこれを私流の解釈で、たとえば第1部においては、聴覚系と視覚系のパフォーマーをそれぞれにDuo、すなわちDuo×Duoとして供されるものとばかり思っていたのだが、その予想はまったく外れ、なにもかもひとまとめに、そのなかから偶然のクジにまかせ、単なるDuoを行うものだったのだ。
したがって、聴覚系×視覚系ばかりでなく、聴覚系のみのDuoもあれば、視覚系だけのDuoも生まれるわけだが、この程度の組合せでは、即興表現を成立させる磁場として、あまりにポテンシャルが低いというものだ。なにしろ出演者は20名余りいるから、10組以上の沈滞せるシーンの羅列に延々と付き合わされるのだから堪らない。
第2部のTrioになってもポテンシャルにおいて大差はない。唯一観どころ聴きどころとなりえたのは、偶々ビオラの大竹徹も入った聴覚系のみのTrioとなった演奏、このシーンだけで、この時ばかりは演奏後の拍手も、さすがに客席は正直なもので、他と比べて一段と大きかった。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-237

9月3日、今朝も早かつた、四大不調は不思議に快くなつた、昨夜、樹明さんからよばれたタマゴが効いたのかも知れない、何しろ、薬とか滋養物とかいふものがききすぎるほどきく肉体の持主だから。
夕立がきた、夕立を観ず、といつたやうな態度だつた。
午後、周二さん来訪、予期しないでもなかつた、間もなく敬治君も来訪、予期したやうに、そして樹明兄は間違なく来訪。
汽車弁当で飲んだ、冬村君もやつてきて、小郡に於ける最初の三八九会みたいだつた。
よい雨、よい酒、よい話、すべてがよかつた、しかし一人去り二人去り三人去つて、私はまた独りぼつちになつた、かういふ場合には私だつてやはり寂しい、それをこらへて寝た、夢のよくなかつたのは当然である。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-238

9月4日、雨、よう降りますね、風がないのは結構ですね。
午前は、樹明さん、敬治さん、冬村さんと四人連れで、其中庵の土地と家屋とを検分する、みんな喜ぶ、みんなの心がそのまま私の心に融け入る。‥‥
午後はまた四人で飲む、そしてそれぞれの方向へ別れた。
夕方から夕立がひどかつた、よかつた、痛快だつた。
さみしい葬式が通つた。-略-
故郷へ一歩近づくことは、やがて死へ一歩近づくことであると思ふ。
――孤独、――入浴、――どしや降り、雷鳴、――そして発熱――倦怠。
私はあまりに貪つた、たとへば食べすぎた-川棚では一日五合の飯だつた-、飲みすぎた-先日の山口行はどうだ-、そして友情を浴びすぎてゐる。‥‥
かういふ安易な、英語でいふ easy-going な生き方は百年が一年にも値しない。
あの其中庵主として、ほんとうの、枯淡な生活に入りたい、枯淡の底からこんこんとして湧く真実を詠じたい。

※表題句の外、2句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―苔の洞門、小さな石ころにも苔が覆っている-’11.07.25


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