一昨日私が結婚する前まで勤めていた舞鶴の会社の社長さん夫婦から、自宅に電話を新設しましたと言う葉書が届きました。
今までは、道路を挟んで自宅と会社があり、同じ電話を自宅でも職場のほうでも使えるようになっていましたので、家のほうに自宅専用の電話を新設されたようです。
そのお知らせ葉書に源氏に因んだ絵が印刷されていましたので、それを見て、舞鶴から源氏が訪ねて来てくれたようで、なんだか心温まる気持ちになりました。
もうこの職場を離れて30年が過ぎましたが、お中元、お歳暮、年賀状の行き来はあり、3回ほど我家にも来て下さったこともあります。
私も舞鶴へ帰った時、何回か職場のほうへ寄らせて貰ったこともありますが、小さな職場で、従業員も10人足らずのところでしたので、私が勤めていた時の従業員はもう誰もいなくなり、最近は立ち寄っていません。
電話のやり取りはたまにあります。平成7年に私が骨折して入院していた時も、ご夫婦でわざわざ舞鶴から京都の病院にお見舞いに来てくださり、ビックリしたこともありました。
このお知らせ葉書一枚でも、なんだか子供のように嬉しく感じます。
今までは、道路を挟んで自宅と会社があり、同じ電話を自宅でも職場のほうでも使えるようになっていましたので、家のほうに自宅専用の電話を新設されたようです。
そのお知らせ葉書に源氏に因んだ絵が印刷されていましたので、それを見て、舞鶴から源氏が訪ねて来てくれたようで、なんだか心温まる気持ちになりました。
もうこの職場を離れて30年が過ぎましたが、お中元、お歳暮、年賀状の行き来はあり、3回ほど我家にも来て下さったこともあります。
私も舞鶴へ帰った時、何回か職場のほうへ寄らせて貰ったこともありますが、小さな職場で、従業員も10人足らずのところでしたので、私が勤めていた時の従業員はもう誰もいなくなり、最近は立ち寄っていません。
電話のやり取りはたまにあります。平成7年に私が骨折して入院していた時も、ご夫婦でわざわざ舞鶴から京都の病院にお見舞いに来てくださり、ビックリしたこともありました。
このお知らせ葉書一枚でも、なんだか子供のように嬉しく感じます。