今日は第5週目の土曜日で、教室はお休みでした。それで、お昼過ぎ何となくテレビを見ていました。
俳優の西村和彦さんが、 賑やかな3人のタレントさんを連れて、京都の主なところを紹介されていた。
祇園のお茶屋さんで、芸妓さんと舞妓さんが、三味線の伴奏で舞っておられた。
それを見ていた主人が、「これくらい、三味線が弾けへんか?」と言いました。
私「お父さんが、以前三味線は四畳半ムードやから、好きでない」と言ったから
弾かへんだけや」
主人「今は年いったから、好みが変ったんや」(そんなかってな)
娘時代に習っていた時の三味線と、現在ライトハウスの船岡寮に入所されている先生が、この施設に入られる時に下さった、かなり上等の三味線もあるのですが、どちらの三味線も殆ど弾いたことがありません。
使わずに置いたままになっていた娘時代からの三味線は、2年前に皮が破れていたので、裏も表も張り替えて貰いました。
先生から頂いた三味線には、ケースの中に大きな乾燥剤が入れたありましたので、私のほうにも皮を張り替えて貰った後に乾燥剤を入れておきました。
使わないと皮が破れると、習い始めた頃に聞きました。使ってくれないと楽器が怒るのだそうです。
お琴の先生は、今の先生が私には4人目の先生ですが、(一人目の先生は、結婚して舞鶴から四国へ行かれたため、二人目の先生は、京都へ来てからの先生ですが、6年前に癌で亡くなられました。三人目の先生は、高齢のため施設へ入られました)以前の三人の先生とは違い、今の先生は、三味線は全く手ほどきして下さいませんので、三味線を弾かない理由は、主人の言葉にこだわっているだけではありません。
テレビに戻り、西村さんが、最後に案内されたところは、伏見稲荷にあるご自分の実家の仁志むら亭でした。
西村さんの両親や、店をついでおられるお兄さんも、西村さんが案内してこられたタレントさんたちに、料理をふるまったり、お話をされたりしておられた。
俳優の西村和彦さんが、東京の大学へ行かれる時に、お父さんが西村さんに言って諭された言葉に、オヤバカに気をつけなさいと、つまりオヤバカとは、
オンナ、ヤク(薬)、バクチ、カードだそうです。
この言葉に、なるほどと納得し、すごいお父さんだなと思いました。
俳優の西村和彦さんが、 賑やかな3人のタレントさんを連れて、京都の主なところを紹介されていた。
祇園のお茶屋さんで、芸妓さんと舞妓さんが、三味線の伴奏で舞っておられた。
それを見ていた主人が、「これくらい、三味線が弾けへんか?」と言いました。
私「お父さんが、以前三味線は四畳半ムードやから、好きでない」と言ったから
弾かへんだけや」
主人「今は年いったから、好みが変ったんや」(そんなかってな)
娘時代に習っていた時の三味線と、現在ライトハウスの船岡寮に入所されている先生が、この施設に入られる時に下さった、かなり上等の三味線もあるのですが、どちらの三味線も殆ど弾いたことがありません。
使わずに置いたままになっていた娘時代からの三味線は、2年前に皮が破れていたので、裏も表も張り替えて貰いました。
先生から頂いた三味線には、ケースの中に大きな乾燥剤が入れたありましたので、私のほうにも皮を張り替えて貰った後に乾燥剤を入れておきました。
使わないと皮が破れると、習い始めた頃に聞きました。使ってくれないと楽器が怒るのだそうです。
お琴の先生は、今の先生が私には4人目の先生ですが、(一人目の先生は、結婚して舞鶴から四国へ行かれたため、二人目の先生は、京都へ来てからの先生ですが、6年前に癌で亡くなられました。三人目の先生は、高齢のため施設へ入られました)以前の三人の先生とは違い、今の先生は、三味線は全く手ほどきして下さいませんので、三味線を弾かない理由は、主人の言葉にこだわっているだけではありません。
テレビに戻り、西村さんが、最後に案内されたところは、伏見稲荷にあるご自分の実家の仁志むら亭でした。
西村さんの両親や、店をついでおられるお兄さんも、西村さんが案内してこられたタレントさんたちに、料理をふるまったり、お話をされたりしておられた。
俳優の西村和彦さんが、東京の大学へ行かれる時に、お父さんが西村さんに言って諭された言葉に、オヤバカに気をつけなさいと、つまりオヤバカとは、
オンナ、ヤク(薬)、バクチ、カードだそうです。
この言葉に、なるほどと納得し、すごいお父さんだなと思いました。