里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

うしろめたいご褒美

2008年10月11日 | 日々のつぶやき
今日買い物に行って、そのついでに同じスーパー内にある100円ショップにセロテープとA4のファイルを買おうと思って入りました。

入ったすぐのところに、猫のかわいい写真の入った来年のカレンダーが沢山あるのが目に留まり、つい欲しくなり、一冊買うことにしました。どれにしようかと沢山種類がある中から決めにくく、結局猫のかわいさに目がくらみ、2冊買うことになりました。

そして最初から買う予定だったセロテープとA4ファイルをかごに入れ、又、ついでにとガムテープ、主人がとき時拡大鏡があるといいなと言っていたのを思い出し、それも目に留まりましたので、かごに入れ、予定していなかったものを何点か買ったので、レジで並び、次が私の番と言うときに、何点買ったかなあ、6点か7点と思い、一応1,000円札と、35円を手に用意しました。

レジで私の番になった時、かごの中を数えられて、「6点お買い上げで630円になります」と言われましたので、1,000円札と30円を払いました。

買った商品を袋に入れるとき、数えたら7点ありました。レジへ引き返して1点分払いに行かねばと思いましたが、レジも込んでいて沢山の人が並んでおられたし、私も、100円ショップに入る前に大根や鰤(娘が鰤大根を炊いて欲しいと言っていたので)、みかん、お漬物など買った荷物を持っていたのが重かったので、後ろめたさを感じつつひき返しませんでした。

多分レジの人が、一番小さなセロテープを見落とされたか、あるいは猫のカレンダーを2冊買ったのが1冊に見えて、7点のところが6点になったのではないかと思います。

家で、この事が何となく引っかかっていましたので、主人に言ったら「普段いいことしておけば、たまには神様がご褒美をくれたんだと思っとけば」と、いつもの口癖のような言葉「アホか」と言われるかと思っていたのが、拍子抜けしました。

後ろめたい105円のご褒美でした。どうもすみません。


金木犀

2008年10月10日 | 日々のつぶやき
近頃誰かが玄関のドアを開けて、出たり入ったりする時や、窓を開けると、金木犀のいい香りがふわ~っと家の中に入ってきます。

外を歩いている時も、何処からかいい香りが漂ってきます。何処に金木犀があるのかなと、あたりをキョロキョロ見渡すと、こんな所にあったのかと思うほど、普段は気がつかず、咲いて香りを放って、「私ここにいますよ」とアピールしているように思えます。

私はこの金木犀の花の匂いが好きですが、ある人が、金木犀の匂いが何処からか漂ってきた時、「ああ、又トイレの匂いがする」と言われました。

エ~ッと思いましたら、その人の家のトイレには、何時もこの金木犀の花の香りがする芳香剤が置かれているそうなんです。

ああそれでこんな言い方をされたんだなと解りましたが、金木犀が、なんだかかわいそうに思いました。

渉成園

2008年10月09日 | 日々のつぶやき
先日教室の友達に案内して貰って、渉成園に行って来ました。

 
園内への入り口を示す表示があり、順路に従ってこの門のような所から庭園になる。


建物の2階から猫が人を見ても恐れもせずに、観光客を見下ろしていました。

 
右側の池は、印月池。残念な事にこの風景にふさわしくないマンションが写っています。

この渉成園を全部回るのには、かなり広く、砂利道を歩くのが歩きづらく、疲れて半分くらいまで行って引き返してしまいました。

それに写真を撮りたい所もいっぱいありましたが、この渉成園の周りにある高層マンションがどうしても入ってしまいますので、写真も諦めました。

渉成園は真宗本廟(しんしゅうほんびょう)(東本願寺)の飛地境内地(別邸)です。

1602(慶長七)年、教如(きょうにょ)上人(東本願寺12代)が徳川家康から寺地を寄進され、東本願寺が成立しました。

中国の詩人陶渕明(とうえんめい)『帰去来辞』の一節「園日渉而以成趣(園、日に渉って以って趣を成す)」から採って「渉成園」と名づけました。

又、周囲に枳殻(からたち)を生垣として植えたことから枳殻邸(きこくてい)とも称されるようになったのです。

庭園はいわゆる「池泉回遊式庭園」であり、洛北詩仙堂を開いた石川丈山の作庭になると伝えます。

14代琢如(たくにょ)上人以後、歴代の隠居所となり、詩歌、茶の湯、能狂言などに親しむ場としても整備され、江戸時代後期の文政年間には、儒学者で漢詩人でもある頼山陽(らいさんよう)が『渉成園記』を撰して「渉成園十三景」を紹介しました。

渉成園は創立以来、幾度かの戦火に遭い、現在の建物は、1864(元治元)年の蛤御門の変による炎上以後に再建されたものであり、その後、明治天皇の御小休所ともなったことから、大宮御所の御車寄(玄関)が移築されました。

そこから内仏堂(持仏堂)である「園林堂(おんりんどう)」を中心に数奇屋(すきや)風の書院や座敷が連なっています。

なお、東本願寺歴代は千利休(せんのりきゅう)と数如人との親交にはじまって茶の湯とのかかわりも深く、松尾流や裏千家の茶道を嗜んでいたことから、園内には「縮遠亭(しゅくえんてい)や露地が整えられた「藘庵(ろあん)などの茶室も残っています。

1936(昭和11)年、文人趣味に溢れる仏寺庭園として国の名勝に指定されました。

(パンフレットより抜粋)


6人だけのクラス会

2008年10月08日 | 日々のつぶやき
今日、舞鶴の高校3年の時のクラス会をしました。

クラス会と言っても、京都と大阪に居るものだけが集まろうと言う事で昨年から集まっています。

場所は、昨年も今年も京都に集まりました。来年はと聞けば、みんな京都がいいから毎年京都に集まることに決まりました。

今年は下鴨茶寮に6人集まりました。名簿上はもっといると思いますが、何かの都合で来られなかった人や、残念な事に癌やその他の病気で亡くなった人もおられるようでした。

12時から食事を始めて貰いました。

写真は、次々に運ばれてきましたが、全部の料理の名前をメモしませんでしたので、解らなくなったのと、写真が綺麗に取れませんでしたので、最初と最後の写真だけ入れておきます。

 
松茸にお酒を注がれた食前酒と胡桃豆腐にイクラとつゆがかかっていました。右はデザートでごまアイスとぶどうに梨です。

食前酒はお酒を注がれた途端に、松茸のいい香りがしました。

2時でそこはお開きにして、近くにある下鴨神社を散策し、3時半に私ともう一人の京都市内のものはそこから帰り、あとの4人はタクシーで京都駅に向かいました。

話はいろいろ弾み、各自の舞鶴の家のこと、子供たちのこと、孫のこと、老後のことなどなど・・・時間の経つのを忘れました。

お天気にも恵まれ、楽しい一日になり、又来年の再会を約束して各自帰路に着きました。


いけず

2008年10月06日 | 日々のつぶやき
10月2日の朝日新聞の夕刊にいけずというタイトルの京都のことを書いた記事がありました。

客人に本当は帰って欲しい時に言うという「ぶぶづけでもあがっておいきやす」伝説。(ぶぶづけ=お茶漬け)

このいけずと言う記事のライターは、小学校の5年まで京都で育ったが、京都が苦手だと前置きして、子供の頃にお母さんがエプロン姿で買い物に出かけただけで、「あそこのお嫁さん、エプロンつけて市場歩いてはったんえ」と噂した近所の人たちのいけずさが、京都が苦手と思う原因だろうと書かれていました。

10年ほど前、女学校時代の友達の家に遊びに行く母に、評判の京菓子を教えた。

わざわざ遠回りしてそれを手土産に持参した母に向かって、お友達は「美味しいわ。けど、あそこの店主、戦後によそからきゃはったんえ」とぬかしたという。
なんといういけず。

京都人最大の誇りは、千年の都に暮らしていることに尽きる。伝統をバックボーンに、京の真ん中で暮らしているのがステータス。だから、「昔、京都言うたら、下京と上京と中京しかあらへんわ」なんていけずなことを、平気でいわはるのだ。

京都市内の私学に通う知人の娘さんは、自宅の市外局番が075でないのがいやでたまらないそうだ。

「京都の人は、京都市内以外は京都と思ってはらへん!」

商売を営む人が、最近ある組合に入ることを認められた。その組合から祇園祭の装束の着付けに駆り出されたのはよかったが、新参者ゆえに何をやっていいのか手も足も出ずに、時間は過ぎた。

帰り際、その場をしきるドンに「すんません。かえって足手まといになりました」と謝ると、ドン=おばあさんは何処までも優しく、「いいえ、助かりました」と頭を下げた。

その話を聞いた人は、「いやあ、それ、すごいいけずやな」と感嘆したという。

京都名物いけずは、単に意地悪ではないこともある。

「お父ちゃん、なんでテレビ消すんな。いけず」と言うふうにシンプルに使うこともあれば、「いけず言わんといて」と甘えることもある。

京都名物いけずは、陰険ではなく、意地悪でも皮肉でもイヤミでもなく毒舌とも違う。

非京都人に蜃気楼におびえるなと京都の西陣育ちのエッセイスト入江敦彦さんが説いておられる。

そんなふうに言われてもニュアンスが解らないと言う事で、京言葉に詳しい関西外国語大の堀井令以知教授が例を挙げて説明してくださっています。

和服の女性に「ええ帯ですなあ」と、にこやかに声をかける女性。ほめているようで実は「着物はぱっとしませんなあ」と言うこともある。

「エスプリですよ。言うほうはニヤリと楽しみ、言われたほうも、しもたーと後で唇をかむ。遊び心です」

「ぶぶづけ伝説もそうだけれど、長居している場合じゃない時に居座るとか、非礼を暗にたしなめるのがいけず。いかにヤボか突きつけられる」。

京都は大人の街、筋金入りの都会なのだ。

対処法は? 「言葉の裏に潜む気持ちを推し量る。人づきあい偏差値を上げたらどうでしょう」と。・・・いけず。

ここまで、主たるところを拾い書きしました。

私は京都に来て、33年目に入りましたが、結婚前後に「京都では、言われたとおりに解釈したらあかんで。その反対の事を言われている場合が多いからな」とよく聞かされていました。

しかし、私は田舎育ちの何事にも鈍感な人間ですので、このようないけずにあったと言う記憶がありません。

かなりの年のおじいさんやおばあさんが、ゆっくりと、綺麗な京言葉で話されているのを聞くと、心が和みます。

私は、未だに京言葉はしゃべれません。30年経っても未だ舞鶴弁の方がよく出ます。

舞鶴の言葉は、早口で、語尾が上がりますので、主人によく叱られます。会話の途中で主人が急に怒りだすので、「何で怒るの?」と聞くと、「喧嘩売ってきたのはあんたやないの」との事。

私は喧嘩するつもりも怒るつもりもさらさらないのに、急に怒られてしまいます。

早口で語尾が上がるので、それが喧嘩を売っているように聞こえて、頭にくるのだそうです。

朝おきてから夜寝るまで京言葉でしゃべるように主人に言われ、試みてもアクセントや何かが違い、またまた「アホか、京都弁の語尾を上げるとは、何処までアホや」と叱られる始末です。

でも私は育った舞鶴より京都の方が好きです。




父に感謝!

2008年10月05日 | 日々のつぶやき
今日は父の命日でした。最近、正直言って、2年前に亡くなった母の事ばかりが、気持ちの中で強く感じ、父のことは忘れているような状態でした。

最近、やっと母のことばかり気にかけていた私が、父に申し訳なく思うようになりました。

父と母の位牌を作ってもらってから、又、先日お彼岸にお墓参りに行った時、行く道中や、実家の敷地内に咲いていた、彼岸花やコスモスの花を見た時、父が亡くなる数日前に、コスモスや彼岸花が大変綺麗に咲いていたことを思い出したときから、父が私に何か伝えてきているかのように、感じるようになりました。

私が子供の頃、我家では、今の普通の家ではお母さんが教育ママゴンの場合が多いようですが、母は、全く学校のことや勉強に関心がなかったわけではありませんが、母からは「勉強しなさい」とか「宿題したか」と言う言葉を聞いた記憶がありません。

それに反して父は教育熱心でした。「学校で今日はどんなこと習った?」「ちゃんと復習しとかなあかんで」、「学校で要るものやったら何でも買ってあげるし、勉強頑張るんやで」等と毎日のように言っていました。

参観日も、普通はお母さんが来るのが当たり前のように思いますが、私の参観には何時も父が来ました。

おまけに授業参観だけでなく、そのあとの保護者懇談会まで残っていました。市役所に勤めていた父は、仕事中にもかかわらず、授業参観と保護者懇談会に出席していたのです。

これって、今で言う公務員の中抜けではなかったのでしょうか。

私は、父から勉強しなさいと絶えず言われていましたが、それをうっとうしいと思ったことはありませんでした。

勉強のことを通して父といろいろ話が出来る事が嬉しかったのです。

父から勉強は絶えずしないとダメなんやと毎日のように言われていましたので、それが普通なんだと理解していました。

その父の教えは、私なりに身について、ガリ勉ではありませんが、まあまあ苦痛に感じない程度に頑張りました。

そんな思いを懐かしく、感謝の気持ちで、今日は栗ご飯を炊いて、仏壇にお供えしました。

小学校へ入学してから、3年生くらいまでは毎日、父の出勤する自転車に乗せてもらって雨の日も雪の日も学校へ通いました。

田舎ですので、家から学校まではかなり遠く、病気がちで体の弱かった私には、とても自分で通う体力がありませんでしたので、朝は父が送ってくれて、帰りは母が迎えに来てくれました。

ありがとう。そんな親の愛があって今の私があるのです。感謝しています。

猫の爪とぎハウス

2008年10月04日 | 日々のつぶやき
モンプチと言う猫の餌の袋についている点数を100点集めて、猫の爪とぎハウスを貰いました。

素材はダンボールで、要所要所を差し込んで組み立てるようになっていました。

組み立て素材と一緒に、猫を誘導するためのまたたびも入っていましたので、それを少しふりかけておきました。

出来上がったので、まり(猫)を入れて見たところ、珍しいのか喜んで入り、またたびに惹かれてゴロゴロしたり、ガリガリ爪を研いだり、狭いハウスの中で向きをあちこち変えるので、さしこんで組み立てただけのハウスなので、屋根や側壁が壊れそうで、ヒヤヒヤしながら見ていました。

そのうちに飽きて見向きもしなくなるだろう。

夜に餌を要求して「ニャアニャア」言っていたとき、「もうちょっと待って、これが片付いたらあげる」と待たせていたら、自らハウスに入って、怒っていると言わんばかりに、激しく速いスピードでガリガリと爪を研いでいました。


間違いではありませんが・・・

2008年10月03日 | 日々のつぶやき
今日、教室に行く前にスーパーの中にある美容室へ髪の毛をカットして貰いに行きました。

カットが終わり、買い物を済ませ、そのまま教室に行く予定でしたので、のどが渇いたので、自販機で、紙コップ入りのコーヒーを飲もうと思い、80円でしたので、100円玉・50円玉・10円玉を、さっきの買い物で、わざと小銭で端数を払ってしまったので、500円玉を入れました。

ところが、おつりが出る時、すごく沢山ガチャガチャと出てくる音がしたので、変だなぁ、間違いと違うかなと、出て来たおつりを見て、エ~ッ、何これは?とビックリしました。

420円のおつりが、50円玉が8枚、10円玉が2枚出てきました。なんとまぁ~

さっきの買い物の代金をレジで払う時、端数が869円でしたので、100円玉6枚、50円玉4枚、10円玉5枚、5円玉3枚、1円玉4枚払い、財布の中身の小銭を整理した感じで、スッキリした気分になったのに、自販機に仕返しをされたと言う気持ちになりました。

しかし、自販機も100円玉がなかったのでしょうか、それともあったけど、50円玉がたまりすぎて、それをなるべく少なくしたかったのでしょうか?
賢いな~ ??? 意地悪したかったのかな~ ???

バナナ

2008年10月02日 | 日々のつぶやき
最近スーパーでバナナがあまりありません。

あったとしても、蒼くて硬い、買った日や次の日でも未だ食べごろにならないバナナであったり、すぐに食べれそうなのは、あったとしても今までの倍くらいの値段のついたバナナしかありません。

お店の人に聞くと、最近バナナダイエットと称して、朝バナナを1~2本と水で朝食を済まし、お昼と晩は普通に何を食べても良いと言うダイエットをされている人が多いため、バナナの入荷が間に合わないそうです。

我家はダイエットしているわけではありませんが、朝食のデザートとしてバナナをつけようと買うだけなのですが、なければ今なら梨や柿、など代えの商品はありますが、買おうと思ったものがないとなると、なんだか不満を感じてしまう。

あたらないと不満を感じ、逆に余るほど与えられても不満を感じる。たとえば、先日レクリエーションで、松阪へ行き、バーベキューの肉が、私には多すぎて、最初に同じテーブルに着いた人たちに、「全部食べきれませんので、少し食べてもらえませんか」と言ったのですが、同じテーブルの人たちはみな少食の人たちばかりで、その中の一人が、親切心でどんどん人の分も焼いて下さり、焼けた肉は、各自のお皿にせっせと乗せて下さいました。

食べないと悪いし、頑張って食べたのですが、一口口に入れて、柔らかくとろけるような肉は、さっと食べることが出来ますが、中には、牛が違うのか、同じ牛でも部位が違うのか、硬くて食べにくいのもあって、結局は、焼かない状態で残しておくのは、あまり抵抗感は感じませんが、焼いたものを残すと、食べきれない分まで焼いてとお店の人に思われると困るので、そっとナイロン袋に処分してしまいました。

肉だけでなく、ご飯も味噌汁もサラダも、お漬物もデザートもありましたので、ご飯は殆ど残り、肉は、生の分も焼いた分も少し残りました。

食欲旺盛な人や、男性グループは、遠く離れたテーブルにおられたので、食べるのを手伝って貰えなく、間違いなくこの人たちはもっと食べたいと思っていたに違いないと思いますので、残念でした。

この人たちは、行く前から、「近くに座ったら、人の分を手伝うからね」と宣言しておられましたから。

人間て、かってな者ですね。足りすぎても足りなくても不満なのですから・・・

すべての物が、すべての人にまんべんに、その人が必要な分だけあたるといいですね。