あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

🐜

2016-07-12 23:44:03 | 随筆(小説)
巨大地底人からしたら、人間なんていうのは蟻🐜らしいな。
つまり人間と蟻🐜くらいの大きさの差ということだろうな。
例えば巨大地底人が地上に上がってきて歩いてたら、人間を踏んでも気づかない。
後ろの地底人から「おい、おまえ人間踏んでるぞ」と言われて初めて
「あ、ほんまや、踏んでもうたな、ま、えっか」てなもんなのだろう。
酷い話である。
地底人に罪はないが、残酷な話である。
蟻🐜から見たら人間はネフィリムである。
「おい、巨大生命体人間に気をつけろよ」
「わかっとるわ、何日俺が生きてきたと思ってるんだ、ばか」
ぐしゃ。うわっ、目の前で俺の親友が人間に踏まれた。許せない。許せないアリよ。
まあ俺たちからしたら人間だけが巨大生物ではないけれども、人間が作ったこのアスファルト?っていうの?硬い地面。これ、これが俺たちを殺す。だって考えてみてほしい。草むらに俺たちが住んでいた時代、俺たちは大きな生物に踏まれて死ぬことは滅多になかったと思ってる?って誰に訊いてるんだ俺は。俺はそうなんじゃないかってちょっと思ってる。草はだって、ふわふわしているし、土だって、でこぼこしている、ちょうどそれが隙間作りとなって、俺たちの命を守ってくれるんだ。
俺たちはさ、何が言いたいかというと、いや、俺は何が言いたいか人間は知ってる?
「人間だってネフィリムからしたら蟻んこだぜ」そんなことを俺が言いたい。いや言いたいわけじゃないアリ。
そんなことを言いたかったんじゃないアリっ。
俺はなァ、なんで自分が蟻に生まれてきたかわかんねえんだよ。
なんで俺は蟻なのかな?しかし「蟻」という漢字は最高だよね。
虫偏に義と書いて蟻。


なるほどなァ。虹って雄の竜の意味なんだなぁ。
くっそう、俺たちは画数が多いから常用漢字に入れてもらえてへんのかいな。くっそぉ。
でも俺たちは漢字にしなくとも、すごくいい意味なんだ。
「あり」なんだから、在り、有り、これが何を意味しているか人間はわかってるか?
つまり俺たちはなんらかの生物の起源に属してるな、きっとそう、たぶん。
俺たちの体が三つの繋がった玉の形でできているのもこれは三位一体を表しているな。
神かもしれない、俺たちは……たぶん……。
しかしなんで俺は蟻なんだろう。
よく人間の間で働き蟻と言われてるけれども、俺は食う、糞する、寝る、この三つで成り立っている、違う意味で三位一体だな。
俺は人間に合わせる顔がない。だから踏まれずに生き延びてきたとも言える。
こないだキリギリスに会ったけれども、何あいつ?上流社会でちやほやされて育つとああなっちゃうんだねぇ。彼は俺の目の前でスラッとした後脚を白い小石に座りながらなまめかしい動作で組み、その細くつややかな触角を前脚でかき上げたよ。
キリギリス「蟻っつったってさ、色々いるでしょ、なんで俺たちが怠け者だとか、言われなくちゃならないわけ」
言ったの俺たちじゃねえっつーの。馬鹿だね、あいつ、俺たちもキリギリスのように最後に「ス」をつけると「アリス」だね。蚊だと、「カス」、イカリモンガだと「イカリモンガス」、イッスンムカデだと「イッスンムカデス」、オオゴキブリだと「オオゴキブリス」、最後にスを付けるだけでかっこよくなる、腹立つね、キリギリス。
とにかく、ネフィリムなんかが地上にまた来たら俺たちどうなるんだ?ってね。バクテリア?いや俺たちは虫だから。ネフィリムが一足地上へ下すだけで50000万蟻が死ぬかもな。え?計算が変?五万万蟻だよ、死ぬ。ふざけるな、ねふぃりむ、Fuck you。
はぁ、前脚がこそばゆい、ぺろぺろ、え?今バクテリアを500000000匹食べたって?ふざけるな、バクテリア。
ファックオフ。
俺の腹ン中でネフィリムたちがわめきだした。
忘れていたけども、俺の胃の中がマントルだったのだ。
そう、空っぽの。
この世はアリだ。
「ナイ」という生命体が俺にそう言った。













Aphex Twin - Slo Bird Whistle (Peel Session)














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生の律法

2016-07-12 01:25:21 | 存念
久々に目が痺れるほど涙が溢れた。
象牙を取るのに象を殺していることは前から知っていましたが
象の顔が原形をとどめていないほどぐちゃぐちゃにされたまま野に捨てられている写真を見て
また下の写真を見て麻酔銃から目を覚ましたときの凄まじい痛みに苦しみながら顔を失った象がひとりで死んでいくのを想像して言いようのない悲しみに包まれました。














「牙を切るのではなく、
麻酔銃で麻痺させてから、鼻の根本からえぐり獲るのです。」
http://ameblo.jp/ojyo2010/entry-11589723034.html



「象牙自体を輸入して、さらに象牙細工までを輸入しているのは残念ながら日本だけである。」
http://amour918.blog.fc2.com/blog-entry-1373.html





食肉、毛皮、皮革、犬猫の殺処分、動物実験、象牙や漢方薬「熊の胆」など動物を拷問して生産する商品、競馬、ウール、フェザー、アンゴラ、ダウン。

ほとんどの人間が動物に拷問のような苦しみを与えることに関わっています。

私は思う。
数え切れない膨大な動物たちの苦しみは人間たちにどのように返ってくるのだろうかと。

どうやって?ひとりひとりがどのような方法で返していけるのだろうか。

西洋医薬で痛みを和らげ、病気を治すことはできても、その薬を作り出すのにどれだけの動物たちが実験による拷問の苦しみを受けているだろう。
彼らに苦しみを与え続けることは果たして人間が苦しむ病気に関係していないと言えるだろうか。



だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。
(マタイによる福音書 7章12節



とイエスは言ったが、これは人だけに限ることではないだろう。

何故なら多くの人間が動物を苦しめることにも同じく罪悪感を持つからだ。

罪を感じるということは、罪は罰されるものであるという感覚を同時に感じるということである。

罪悪感を持つこと自体が、自分はいつか罰されるだろう、というある危機感を常に持っていることと言えると思う。

人間の理性というものは動物的な本能と同じものであると私は思っている。

それは生物が生きるうえで必要不可欠な性質と言える。

理性が備わっていないのなら、生物は滅びの道を辿るしかない。

理性に背き種の好き勝手に生きた結果、やがて生態系は壊れその種も滅びます。

イエスの教えは宗教的なものでもなんでもなく、ただ生物がこの地上に生き続けるのに必要な教えばかりだった。

争いや、人が人を裁くのをやめ、人を赦し、どんな他者をも兄弟のように愛しなさいと教えた。

それをしなければ、人間はいずれ滅ぶということを知っていたからである。

イエスの教えに背き続ける多くの人間たちによって今まさに人間は滅びへと向かっているようだ。


「してもらいたいことをしなさい」という教えは、したことが自分に返ってくるからだ。


どのように返ってくるかはわからない。
しかしそれは必ず返ってくるだろう。
それが生物が滅びきる前に気づくことのできる生が滅びないための生の律法である限り。


















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