『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』(原題:37°2 le matin、英題:Betty Blue)
1986年フランス製作 監督ジャン=ジャック・ベネックス
この映画は是非「ベティ・ブルー インテグラル 完全版 (ノーカット完全版) 」178分のものをご覧頂きたい。
その日常を映す長さが重要な意味を持っている作品です。
ストーリー
ペンキ塗りや配管工をしながら生計を立てる35歳の男ゾルグ(ジャン=ユーグ・アングラード)はある日19歳の少女ベティ(ベアトリス・ダル)と出会い、徐々に互いに激しく惹かれあってゆく。
ある日ベティは、ゾルグが過去に書きためていた小説を偶然発見し心酔するようになる。
ゾルグの才能を信じるベティは作品の書籍化のために一人で奔走するも各出版社の反応は冷たく、ベティの迸るような情熱は空回りし続ける。
精神が不安定で何度も衝動的な行動を繰り返すベティ、そんな彼女のすべてを受け入れようとするゾルグ。
二人の愛の行方はどこへ向かうのか。
ベティは脚を折った野生馬のよう
立ち上がろうと 必死で もがく
輝く草原を夢見て
暗い柵の中に迷いこむ
自由を奪われては
生きられないのに
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昨夜にこの映画を初めて観て、今朝起きると、映画の夢を観ていたようで、どんな夢かは忘れたが、目覚めた時に重い喪失感があった。
この映画は、わたしはまだ涙が一滴も流れることがない。
自分には映画として観れない何かがあるように思う。
わたしは女であり、性格はベティと、よく似ている。
真っ白な光か、真っ暗な闇か。
0か、100か。グレーゾーンを受け入れられないベティとわたしはよく似ている。
そしてゾルグとも。
わたしはゾルグと同じ純文学小説家志望である。
ゾルグがほんとうに望んでいるのは彼が描くような悲劇的に終わる世界であることをベティは無意識にも感じ取っていたかもしれない。
同時にベティはゾルグとの今の幸福の延長にあるさらに大きな平凡なる安らかな喜びである幸福を追求していたことも確かだと感じる。
ベティにとって愛するゾルグとの生活はとても大きな喜びの中にあったものの、何度と破壊的な不安に襲われ、それは満ち足りたものではなく、ゾルグの中にも、このまま幸福が続いていくことの不安のような何かがあるのだとベティは感じていたのではないか。
ベティはゾルグを幸福にすることが彼女の一番の幸福であったはずだ。
ゾルグはヒトラーを愛し、悲劇を愛する男である。
現実に破滅的な悲劇がなければ書くことは決してできないであろう重圧で人をほんとうに感動させる物語をゾルグが書くということを、ベティは潜在的な場所で望んでいたのではないか。
そしてそれを意識下には及ばないところでゾルグも望んでいるはずだとベティは見抜いていたのではないか。
二人が望んだもの、それは、同じものだった。
だからこそ、美しい悲劇をそこに人々は観るだろう。
ベティは自分を犠牲にしてでも、ゾルグをほんとうに幸福にしたかったはずだ。
そしてゾルグも、悲劇を望むのはベティとの幸福のためであったはずだ。
ベティはゾルグが描く悲劇的な結末を迎える物語を愛したのだから。
「存在しない何か」を深く望んでいたのは、ベティだけではなかったのではないか。
小説家とは、幻想の世界に生きる人間である。
ゾルグはベティとの幸福な生活を望み、それが叶えられていくほどに彼の幻想なる悲劇的な物語を渇望していたように思う。
ベティはゾルグを愛する深さゆえ、それを感じ取っていたに違いない。
ゾルグとベティは、まるで鏡を見つめあうように同じ「存在しないなにか」を深く深く渇望した。
ゾルグが悲劇を求めたのはベティへの愛ゆえである。
ベティが悲劇を求めたのはゾルグへの愛ゆえである。
だから愛し合うほど二人が悲劇的な結末へ向かわざるを得なかったというあまりに悲しく美しい悲劇がここにあるのだろう。
二人は、けっして間違った方向へ行ったわけではなかった。
ベティとゾルグは、「存在しない何か」をやっと手に入れたはずだ。
*原題の『朝、摂氏37度』とは女性が最も妊娠しやすい体温のことで、男と女の愛と交接の完全燃焼点を表した言葉とされている。
女がお腹に宿し、生む存在とは未知なるものである。
それはまだ、どこにも存在しないもの。
どこにも存在しない「物語」である。
そして小説を書く男が生みだそうとするものも、
それはまだ、どこにも存在しない。
それはまだ、深い深い深淵の中にある。
ゾルグは、それを、書き始めた。
1986年フランス製作 監督ジャン=ジャック・ベネックス
この映画は是非「ベティ・ブルー インテグラル 完全版 (ノーカット完全版) 」178分のものをご覧頂きたい。
その日常を映す長さが重要な意味を持っている作品です。
ストーリー
ペンキ塗りや配管工をしながら生計を立てる35歳の男ゾルグ(ジャン=ユーグ・アングラード)はある日19歳の少女ベティ(ベアトリス・ダル)と出会い、徐々に互いに激しく惹かれあってゆく。
ある日ベティは、ゾルグが過去に書きためていた小説を偶然発見し心酔するようになる。
ゾルグの才能を信じるベティは作品の書籍化のために一人で奔走するも各出版社の反応は冷たく、ベティの迸るような情熱は空回りし続ける。
精神が不安定で何度も衝動的な行動を繰り返すベティ、そんな彼女のすべてを受け入れようとするゾルグ。
二人の愛の行方はどこへ向かうのか。
ベティは脚を折った野生馬のよう
立ち上がろうと 必死で もがく
輝く草原を夢見て
暗い柵の中に迷いこむ
自由を奪われては
生きられないのに
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昨夜にこの映画を初めて観て、今朝起きると、映画の夢を観ていたようで、どんな夢かは忘れたが、目覚めた時に重い喪失感があった。
この映画は、わたしはまだ涙が一滴も流れることがない。
自分には映画として観れない何かがあるように思う。
わたしは女であり、性格はベティと、よく似ている。
真っ白な光か、真っ暗な闇か。
0か、100か。グレーゾーンを受け入れられないベティとわたしはよく似ている。
そしてゾルグとも。
わたしはゾルグと同じ純文学小説家志望である。
ゾルグがほんとうに望んでいるのは彼が描くような悲劇的に終わる世界であることをベティは無意識にも感じ取っていたかもしれない。
同時にベティはゾルグとの今の幸福の延長にあるさらに大きな平凡なる安らかな喜びである幸福を追求していたことも確かだと感じる。
ベティにとって愛するゾルグとの生活はとても大きな喜びの中にあったものの、何度と破壊的な不安に襲われ、それは満ち足りたものではなく、ゾルグの中にも、このまま幸福が続いていくことの不安のような何かがあるのだとベティは感じていたのではないか。
ベティはゾルグを幸福にすることが彼女の一番の幸福であったはずだ。
ゾルグはヒトラーを愛し、悲劇を愛する男である。
現実に破滅的な悲劇がなければ書くことは決してできないであろう重圧で人をほんとうに感動させる物語をゾルグが書くということを、ベティは潜在的な場所で望んでいたのではないか。
そしてそれを意識下には及ばないところでゾルグも望んでいるはずだとベティは見抜いていたのではないか。
二人が望んだもの、それは、同じものだった。
だからこそ、美しい悲劇をそこに人々は観るだろう。
ベティは自分を犠牲にしてでも、ゾルグをほんとうに幸福にしたかったはずだ。
そしてゾルグも、悲劇を望むのはベティとの幸福のためであったはずだ。
ベティはゾルグが描く悲劇的な結末を迎える物語を愛したのだから。
「存在しない何か」を深く望んでいたのは、ベティだけではなかったのではないか。
小説家とは、幻想の世界に生きる人間である。
ゾルグはベティとの幸福な生活を望み、それが叶えられていくほどに彼の幻想なる悲劇的な物語を渇望していたように思う。
ベティはゾルグを愛する深さゆえ、それを感じ取っていたに違いない。
ゾルグとベティは、まるで鏡を見つめあうように同じ「存在しないなにか」を深く深く渇望した。
ゾルグが悲劇を求めたのはベティへの愛ゆえである。
ベティが悲劇を求めたのはゾルグへの愛ゆえである。
だから愛し合うほど二人が悲劇的な結末へ向かわざるを得なかったというあまりに悲しく美しい悲劇がここにあるのだろう。
二人は、けっして間違った方向へ行ったわけではなかった。
ベティとゾルグは、「存在しない何か」をやっと手に入れたはずだ。
*原題の『朝、摂氏37度』とは女性が最も妊娠しやすい体温のことで、男と女の愛と交接の完全燃焼点を表した言葉とされている。
女がお腹に宿し、生む存在とは未知なるものである。
それはまだ、どこにも存在しないもの。
どこにも存在しない「物語」である。
そして小説を書く男が生みだそうとするものも、
それはまだ、どこにも存在しない。
それはまだ、深い深い深淵の中にある。
ゾルグは、それを、書き始めた。