あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

死刑執行の夜

2018-07-07 01:25:21 | 

安心して眠りたい。
人が人を殺さない世界に生きたい。
国家が人を殺害しない世界に生きたい。
安心して暮らしたい。
全員が菜食の世界に生きたい。
安心して生きたい。
安全が欲しい。
人は絶対死ぬ。人は死んでも生きる。
安心が欲しい。
国家が人を殺し続ける限り地獄は続く。
安眠が欲しい。
人が人を殺さない世界に生きたい。
俺はごきちゃんも殺せない。
国家は人を殺戮し続ける。
人の命をなんやと想てるねん。
御前にゆうてるんだよ。
虚無。
人の命をなんやと想てるねん。
俺の命をなんやと想てるねん。
俺を殺す為に、御前は危険圏から安全圏の俺に悪質で非道な行為をしながら何黙ってるんだよ粕が惚けが糞が屑が塵が虚無が。
死ねや。
御前みたいな糞人間どうせ、今回の死刑執行を喜んでるんだろうね粕が。
人が人を殺すことにも喜んでるんだろうね。
御前はこれ以上俺に言いたいことが、何もないのか。
俺の大事な居場所を奪っておきながら、何無言し続けとるねん呆け。
俺を殺す為に、俺のブログに悪質な嫌がらせをし続けるのが生き甲斐な訳?
御前も地獄逝きやぞ、わかってるんだろな。
御前の処刑台が御前に見えるか。
目の前に在るじゃないか。
御前はそこへ向かって、一日一日、懸命に生きて行くんだよ。
全員から石を投げ付けられてでも、御前はその道を、たった一人で歩いて行くんだ。
死刑執行ボタンを押すのは御前自身だ。
御前しか押さない。
御前を殺したいのは御前しかいないからだよ。
聴く耳の在る者は聴け。
他者の死刑を望む者は、全員が自ら処刑台へ向かって歩いているんだよ。
他人の死を望む者は、全員が地獄に向かって、一日、一日、処刑台に近付いている。
そんなに自分自身を死刑にしたいのか。
では俺が御前の死刑執行ボタンを押してやろう。
俺が御前の死刑を望んでやろう。
目の前に御前の処刑台が在るのが見えるか。
一人一人が順番に処刑されてゆく。
その後、御前は何処へ行くのだろう。
御前は今までよりもずっと、苦しい地獄へ逝く。
御前の御前自身による死刑執行の地獄の苦痛を遥かに上回る無間地獄だよ。
御前は他者(自分自身)の死刑執行を、そのために望んだ。
御前はそれでも、俺を殺す為に、また嫌がらせをしてくるつもりか。
それとも、もうこのまま、永久的にthroughか。
死刑囚の虚無。危険圏から、何想うかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

麻原尊師の優しき御顔

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2018-07-08 04:04:23
よかった。です。
返信する
Unknown (Unknown)
2018-07-08 04:12:01
あまねさん、今までの事本当にすいませんでした。何言ってもいい、お元気で。さよならです。
返信する
Unknown (あまね)
2018-07-08 13:48:03
まだ匿名で書き込むのは何故ですか?
わたしはブログに自画像だけでなく本名も載せています。
あなたは本名を名乗らずにわたしに「安全圏のなかにいて、すごいね」と言いましたよね?
もし本当に謝罪の気持ちがあるなら本名で謝罪してください。
下の名前だけで構いません。
それが謝罪する者の誠意というものです。
匿名で謝罪しても意味がないんですよ。
何故それがまだわからないのでしょうか?

あなたは今まで何度わたしに謝罪してきましたか?
コメント欄を全部振り返って数えてきてください。
あなたは何度も何度も同じようにわたしに謝罪しましたが、また同じ嫌がらせコメントを書いてきましたよね?

相手を苦しめても謝罪さえすれば赦されるとでも想っていますか?
では相手の四肢を、一本一本切断していき、一本ずつ、あなたは相手に謝罪してみてください。
相手はあなたを赦すと想いますか?
あなたが遣ってることはこれと変わりありません。

わたしはこのブログが自分の本当に大切な居場所であるのだと言いましたよね?
そして表現はすべてを肯定するために絶対的に必要なものであるとも言いました。
わたしは何度も、表現というものがどういうものであるのかを、あなたにわかってほしいと言いました。
だからあなた自身に、表現を遣ってくださいと言って来ました。
遣らなくてはわからないだろうから。
でもあなたは表現を遣ろうとしてくれない。
だからあなたは表現がわからず、わたしのブログに真剣に腹を立ててわたしに嫌がらせをしてわたしの命さえ脅かしているんです。

あなた自身が、自分の醜さ、愚かさ、惨めさ、自分への憎悪、嫌悪、それらをすべて、自分と向き合い続けて表現として書き続けて行くなら、人の表現をもっと距離を置いて一つの表現として見つめることができただろうと想います。

でもあなたは表現を遣っていないから、自分の醜さ、愚かさ、惨めさ、自分への憎悪、嫌悪、殺意、それらをすべて他者に投影して、他者のなかにだけ自分を見ているのです。
でも見ているのはあなたですから、あなたのなかにないものはあなたは見ることもできない。

表現を遣るなら、これがわかってくるんです。

あなたは嫌がらせをやめられない人間だとしても、これだけはわかってもらいたいんです。
あなたが言う言葉は、すべてあなたに返ってきます。
わたしはそれをわかった上ですべての表現を遣っています。
だからすべての言葉を自分自身に向けて言っていると言いました。
でもそれを言ってもまだあなたはわかろうともしないんです。
それはあなた自身が、あなたのなかの受け入れたくない自分からずっと逃げて生きてきたからです。
自分自身から逃げられる人間は一人もいません。
あなたは一体いつまで自分自身から逃げ続け、他者を見下し、責めて優越感を持ち続けるのですか?
あなたの最も大きな苦痛はそこにあるはずです。

何度も言いますが、わたしは自分自身とこの世のすべてを肯定するために表現を遣り続けています。
その為には自分とすべての否定するものを隠して表現していたら意味がないんです。
とにかくネガティブなものすべてを吐き出し、今度はそれらを自分だけの表現の力でどのように昇華してゆくか。
それが表現で行う大きな課題なのです。
あなたはそのなかの一つのネガティブな許せないものを見つけると真っ先にわたしを否定しますが、わたしの表現はまだ何一つ完結していません。
自分とすべてを肯定する課題は死ぬまで続きます。
あなたは一つの未完成の大長編の小説の途中でその物語の登場人物の言うことに剥きになっているのと同じです。
同じ剥きになるとしても、あなたはわたしと向き合おうともしていません。
今回も主語の抜けた片言のコメントを書き、簡単にわたしに別れを言っています。
あなたがわたしとしっかりと向き合おうとしないことは、あなたがあなたと真剣に向き合わず自分から目を逸らす行為です。
わたしはこのブログをやめると言ってからあなたから返事をずっと待っていましたが、あなたから返事が来なくてあなたは何を考えているのか?をずっと苦しんで考え続けながら、新しいブログでもそれをずっと表現していました。
読む人はほぼゼロのブログです。
それでもずっと真剣にあなたの想いとわたしの想いをずっとずっと書いていたのです。

あなたはその間、わたしのことをどのように想っていたのですか?

表現をしない人でも、なんとか自分の頭の中だけで昇華させている人はたくさんいるはずです。
でもあなたはそれがほとんどできていないのです。
だから他者の中の粗探しを目を血走らせてし続けています。

言葉にすることで初めて、自分はこういう風に想ってるのか、とか、こういった考えがあるのか、とか、本当に色んな知らない自分が出てきて頭の中だけで想っているよりも深く考察してゆけるのです。

自分の汚い部分を吐き出すなら、それを一つの表現として冷静に眺めることができます。
自分を冷静に見つめることができます。
そしてどうすれば、自分の本当に望む自分となるのか?自分の本当の望みとは何か?
どういった自分を自分で創り上げたいのか?だんだん少しずつ見えてくるのです。

表現は、最も望む自分を創りあげてゆく人生を懸けた作業です。
あなたは自分が最も望む自分はどういう自分であるのか、わかっていますか?
わたしに嫌がらせをしてわたしの命さえ脅かしているあなたをあなたは一番に望んでいるのでしょうか。

他者に完璧を求めてしまう性質があなたにもわたしにもあるように想います。
だからこそ生きることが苦しく、人間の愚かさを肯定するために表現を遣り続けて行かなくてはならないのです。

人間の汚さ、悪どさ、卑しさ、それらは全部人間の生きる苦痛であって苦痛であればあるほど抜け出そうと足掻きます。

わたしもあなたも、たった一人で足掻き続けるちっぽけな人間なのです。

わたしという他者を責め続けて、あなたは変化していけるのですか?

表現をし続けるなら、この世界に敵は自分しかいないことに気づきます。
自分が最も闘わなくてはならない存在は自分だけであることを知るのです。

すべての人が、自分だけを見ている世界なのです。
自分の受け入れたくない自分の否定する自分を他者のなかに映して見ている。

自分のなかに存在するものだからこそ、他者を許せないのです。

人は互いに鏡を見つめ合い、愛し合うこともできれば殺し合うこともできます。

わたしは殺し合うよりもすべてを愛したいが為に表現を遣り続けています。
でもあなたの人に嫌がらせをして面倒になったなら別れを告げるという都合の良い行為は、相手を殺して終りにしようとする行為です。
どれほど無責任な行為であるかわかってください。

「よかったです」という片言でなく、何がどうよかったのか、しっかりと相手に伝わる言葉で表現してください。
それにわたしがあなたに激しく怒りを向けているのに「よかったです」と答えるのは相手の苦しみを何もわかっていないということです。

あなたはわたしを殺してでも、わたしに嫌がらせコメントを書いてきました。
どのような謝罪をあなたが言っても、あなたの罪は赦されません。

一人の人間を殺そうとしたことを、死にかけるほど苦しみ、自覚してください。

わたしが死ねば飼っているうさぎのみちたも死ぬことになると言いましたよね?
今度、嫌がらせをしてくるならば、警察に相談します。
あなたのIPアドレスを追い、あなたの家に警察が遣ってくると想います。



正直に答えてください。
あなたはわたしにリアルで会ったことのある男性ですか?

何故会ったこともない女性に、ここまで執拗な嫌がらせをしてくるのかが理解しがたいのです。

あなたは立派なストーカー男です。
一人の女性を苦しめ続けて喜んでいるのか苦しんでいるのか、はっきりさせてください。

若いとは言えない年で、これからも幼稚な嫌がらせをし続けるのか、自分に問うてください。

一つ一つ、すべてわたしの問いに答えてください。
あなたは本当にすべてのわたしの切実な問い掛けをスルーして軽々しいコメントを書いてきています。

今まであなたがスルーしたわたしのすべての問いに、何時間、何日とかけて、長文の返事をしてください。

わたしはこのブログを二年とちょっと人生を懸けてすべてを受け容れ愛する為にこつこつと続けてきました。
あなたからの嫌がらせに死へ追いやられ、やめたくはないのです。

わたしを一人の人間として向き合おうとするなら、軽々しい短文のコメントはやめてください。

わたしは「よかったです」とか、「楽しめました」という軽々しい評価を受けるために表現を命懸けて遣っていないのです。

短文コメント、短文の評価は、相手への敬意にも欠けています。

あなたが日記を公開したとき、それがどんなに下らない内容の日記であったとしても、わたしは短文のコメントは絶対に書きません。

例え悪意がなくとも、短文のコメントや評価を書かれて傷つく人は、きっと多いはずです。

それほどみんなが真剣にブログを遣っているということです。

敬意を感じない、人を人としても見ていないようなコメントは公開するつもりはありません。

そういえば麻原尊師の娘さんのSNSの返信欄がとんでもない誹謗中傷で埋め尽くされていて、そのすべてが、本名ではありません。勿論顔写真もない人たちばかりです。
あなたがわたしに遣っている嫌がらせも、これと変わりがありません。

人は、たった一人からの嫌がらせからも死にかけるほどストレスになるのです。

あなたは本当にわたしを殺し、殺人者として生きていってでもわたしに嫌がらせを続けるのか、自分自身に問うてください。

わたしはコメントを見るたびに、心拍数が上がり動悸がなかなか治まらないほど本当に嫌がらせコメントによって追い詰められています。
わたしは心臓がかなり弱いのです。
十年間引きこもっていますから当然です。

わたしとみちたを、どうか殺さないでください。
表現というものにいちいち剥きにならずに、距離を置いて冷静に見つめ続けてください。
返信する
Re:Unknown (あまね)
2018-07-08 14:16:57
言い忘れましたが、わたしは本当に心臓が弱いためにあなたの嫌がらせコメントによって心臓発作で孤独死し、腐乱死体となり、みちたも餓死する可能性はかなり現実的であると考えています。
返信する
Unknown (Unknown)
2018-07-08 19:14:04
嫌がらせなどしてない

死は怖くない。呪われるのは、何回も、あまねさん。本名は伝えたはず、最初から、貴女を苦しめるつもりなどない。これ、本音
あんたええ子やねんな。少し、興味深々、私はネット世界には程遠い、たまたまあんた拝見、中途半端すまん、でも応援してます。ごめんやで。決して、馬鹿になどしてない、むしろありがとうございましたです。気になって気になっても、これで終わりにするわ、いままでほんまにごめんなさいね、どうか、良き日々を過ごして下さい。こんな馬鹿にお答え頂きありがとうございました。
返信する
Unknown (あまね)
2018-07-08 20:48:24
あなたの人を馬鹿にした悪質な嫌がらせのコメントは以下のものすべてです。

4月25日「おもろない」
4月25日「うすぅーいにゃま」
4月25日「賞味期限。すごいねー、そりは嘆きうたうわな。」
4月25日「宗教?やめて、鏡関係ない話だから、いつまでも独り言あねにあにになななにおもうかね。」
4月29日「オマイは、残念だが、今回は、おもろいやん。」
4月29日「もっとモナ御託ばかりまやかし、おまいは、何もせず、国の制度利用し、堕落して、表現者?
気取り、残念だがそうやってこれからもか。」
5月1日「あまね、ばかが、しぬなよ。おもろないやけばか」
5月1日「さんざ言われ、だめぇじ、オノレだけちゃない。
うけとるかわに、もんたいあり、決してオノレとは相入れんが、ばかが、鼻くそに、対抗するなや、時は、無限でなく、あの宣告から、もうすぐ」
5月2日「了解」

そして5月3日にようやく嫌がらせコメントをやめることを言ってくれましたが
6月21日にまたもやわたしを困惑させて楽しんでいるかのような片言の悪質なコメントをあなたはしました。

わたしはあなたの嫌がらせにより姉に電話口で泣き叫ぶといった奇行に走るほど精神が破綻したことを記事でも書きましたが、あなたはそれでも嫌がらせではない、馬鹿になどしていないと言い張るのなら、神経がかなり壊れてしまっているのだと想います。

自分は死は怖くないから人を死に追い遣ろうと構わないということでしょうか?

麻原尊師の娘さんもほぼ彼女に関心のない人たちから悪質な誹謗中傷をされています。
今回のあなたの悪質な行為を受け続けて、ネットの世界で表現し続けていくことは、そういう意味でも本当に命懸けであることがよくわかりました。
わたしは本当にここまでの悪質なコメントをされ続けたのは初めてなんです。

前にも話した一度会ったことのある男性も何度か片言のふざけたコメントを連投してきましたが、警察に通報すると言った途端やめてくれました。



真剣に悪意のないコメントを書いてきてくださる人も多いと想いますが、どうしても敬意が足りなくて軽々しいと感じて傷つくコメントが多いのです。

でもあなたの幾つものコメントは誰が見ても悪意の感じる悪質なコメントです。
ひとつに働かない引き籠り女性を見下しているからだと想います。
あなたのコメントは差別的なコメントが多くありました。

でもそれもわたしの記事によってあなたが見下されたと感じたからではないでしょうか。
自分が見下されているのだと感じるのも、自分自身が自分を見下しているからなんです。
自分自身が自分を見下してもいないなら、何を言われても腹が立つこともありません。

あなたもわたしも、自分のどこかを見下し続けているのだと想います。
それが苦しいのです。だから見下す相手(自分)を傷つけ、苦しめたくなるのです。

あなたは謝罪した後も何度と馬鹿にしたようなコメントを送ってきましたから、真面目なコメントを送ってきても、どこかで馬鹿にされているのではないかと感じてしまうのです。

わたしの表現は確かに自虐的なものも多く、自分で自分を馬鹿にしている記事も多くあると想います。
自分で自分を馬鹿にしていても、誰かから馬鹿にされるのは許せないといった心理です。
自分を馬鹿にし続けることは本当に苦しいことで、その苦しみを表現して、共鳴を求めているのかもしれません。
自分を受け容れる為に表現をしているので、他者からもやはり受け容れられたいのです。
他者から見下されるより、苦痛に共感してもらいたいのです。

でもそういったわたしの複雑な心理はわたしのブログをずっと読み続けていかないとなかなかわかってくるものではないはずです。
たった一つの記事や、いくつかの記事だけを読んで判断して軽薄なコメントを書かれたくないという想いです。

その為にもずっとずっとできれば同じブログで表現し続けてゆく必要があります。
わたしはあなたからの反応を観る為にブログをやめると言いましたが、やめるつもりはありませんでした。

わたしが大切なブログをあなたの為にやめると言ってもあなたが何一つ言ってこなかったことに心から傷ついています。

ここまで傷ついて苦しんでいるのも、わたしがあなたに対して求めるものが大きすぎるからなのだと想います。
あなただけでなく、本当にだれひとりとも、わたしは良好な関係で居続けることができません。

姉ともまったく連絡を取らない関係になり、天涯孤独です。

それでもわたしが本当に好きな表現だけを遣って生きていることを、あなたは羨んで「安全圏」と表したのだと想っています。
でもわかってください。人の生きる苦痛と幸福は、そう容易く量れるものではないのです。
誰もが違う苦痛のなかに生きています。
誰もが同じ幸福を手に入れなくてはならない世界だとは想っていません。

もう終りにすると決めたなら、そうしてください。
わたしと真剣に関われば関わるほど、誰もがどん底に堕ちるのだと想っています。

御元気で。
頑張って耐えて最期まで生きてください。
返信する