あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

はるさんへ

2017-06-20 09:57:30 | 日記
はじめまして、はるさん。

メッセージをいつもありがとうございます。
e-mailが載っていないので、返信することができません。
返信不必要であればこのままで構いません。

はるさんも詩を書きたいと想っていらっしゃいますか?
詩を書くために必要なものは知性でもなく、脳のシワでもありません。
詩を書くために必要なものとは、情熱です。
詩を書きたいという情熱です。

人は例えば、人を深く愛したとき、詩を書きます。
そして愛する者と別れたときも詩を書きます。
深い感情が、人に詩を書かせるのです。

毎日がただ楽しく何事も深く心を動かされることもなければ、詩を書くことはできないかもしれません。
でも詩を書きたいという情熱さえあるなら、きっと詩を書けるようになる状況はやってくるでしょう。
それは、はるさんにとって、喜ばしいものばかりではないかもしれません。
人は大抵、地獄のような苦しみのなかで詩を書き連ね、また物語を紡いでゆきます。
あまり幸せなときには、良い作品が生まれにくいのです。

はるさんにお薦めの映画を紹介致します。
「太陽と月に背いて」という映画です。
詩人アルチュール・ランボオが、とれほどの人を愛する苦しみのなかに生きて詩を愛し、そして詩から決別したか。
わたしはこの映画をとても愛しています。
はるさんが詩を書く未来を想い描く上で、参考になるかもしれません。

わたしも今、ちょうど深い失恋の地獄のような苦痛のなか、ほぼ布団のなかで生活しております。
わたしはとてつもなく苦しいのですが、この苦しみからしか生まれないであろう未来のわたしの作品に出会える日を想ってワクワクもしています。

わたしはその作品を創りあげるために、今、孤独にうちひしがれながらこの苦しみと悲しみを味わっています。
ランボオは苦しみのあまり詩と決別しましたが、わたしは苦しいほど、詩と小説に縋って生きるでしょう。

それから、詩を書き始めるとき、何も考えず、浮かんだ言葉をただ書き続けることに挑戦してみてください。
言葉の意味さえ放ち、良いと想う言葉だけを書いてゆくと、それらが自然に繋がり合うことを感じられるかもしれません。
そして意味もよくわからないが、なんだか凄いと感じて気に入るならば、それは紛れもなく詩です。
それは確かに詩の神が降りてきている証です。
詩を書きたいのなら、諦めず、何度と挑戦し続けてみてください。

はるさんの人生を応援しております。
あなたに出会えたことに心から感謝いたします。
またいつでも気軽にメッセージやコメントを送ってください。







あまね










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