あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

クワガタが逃げた。

2017-09-04 16:16:12 | 日記
オレは昨晩夜中の3時頃、ゴミを捨てに行くときにマンションの階段のところに雌のクワガタを見つけた。
クワガタなんて観るのは一体何年ぶりだろうと感激し、マンションの外へ逃がしてやろうと捕まえて、ゴミは踊り場に一先ず置いて、逃がしに外へ出たのだが、外にある樹と言えば街路樹、一本だけヒョロっと生えたそんな樹に掴まらせてやったところでコイツは生き延びてゆけるのか?
餌もなく、アスファルト上にて野垂れ死にするのが目に見えているのではないのか。
こんな自然の少ないところで、生きてゆけるとはオレはとても想えなかった。

だので、せや、コイツ、明日オレが近くのとても広い緑地公園まで連れてってあげて、逃がしてあげるしかない。そう想ってクワガタを部屋へ持ち帰ったのである。

そしてちょうどスプラウトを育てる用の網の蓋のついた瓶があったので、そこに土を入れて、そこにクワガタを投入し、網の蓋を洗ってなかったので洗って、さあ蓋をかぶせようと想うと、あろうことか、クワガタが瓶のなかにいなくなっていたのである。

オレはまさか、こんなツルツルの瓶の内側を登って逃げるとは想わなかった。
しまったあっ、しまったことをやらかしてしまったあっと大変後悔し、オレは土の中にもしや潜ったのか?と最初は土の中を探し、そこにはおらなかったので、そこらへんを見回したのだけれども、やはりいない。

クワガタの雌は忽然とオレの部屋のなかからいなくなってしまったのであった。

オレはこんなことなら、あの街路樹に逃がしてやったほうがクワガタは生き延びていけたのかもしれないとひっじょぉっに自責と悔恨の念に囚われ、己れの手抜かりに落ち込んでしまった。

そしてもしや甘い蜜の匂いに誘われて出てくるかもしれんとメープルシロップを含ませた花紙を入れた皿を置いて寝て起きて観てみたが、おらんやろなと想って観てみたら、ほんまにおらんかった。

今晩は、スマホのライトつけてそれを暗がりに置いて、りんご酢や果実酒をメープルシロップで煮たものなんかを置いて、そこに寄って来るかどうかを試してみようと想う。

オレは、オレはキミを、大事にしているつもりだよ。
オレはキミを・・・・・・。
いつでも、いつでもキミを大切に想っているつもりだよ。

オレたちは、キミたちに囲まれている。
いつも、いつも、いつも。
キミたちがいなくなることなんて、考えない。

オレは、キミを愛しているつもりだよ。

オレたちの愛は、オレたちを傷つける。










oOoOO-Seaww














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5 コメント

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逃げちゃいましたか! (ひまわり)
2017-09-05 08:28:16
おはようございます。お久しぶりです。
北朝鮮のミサイルや核実験など、驚きと恐怖の日々が続いてますね。

クワガタも緑の多い公園の方が、確かに幸せですから優しい気持ちわかります。
しかしクワガタには伝わらず、残念ながら逃げちゃいましたか!
きっと幸せに暮らせる場所を見つけられますよ。
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北朝鮮は恐ろしい国ですね! (ひまわり)
2017-09-05 08:32:37
北朝鮮が核開発を継続する中、核実験の過程で、深刻な人権侵害が行われていますね。
核実験施設があるとされる豊渓里近くには、悪名高き政治犯収容所「16号管理所」化城強制収容所が存在するそう。
ここに収容された政治犯が、核実験施設で防護服なし、すなわち放射能に被曝しながら強制労働させられているようです。
生体実験や危険を伴う工事など、政治犯を動員するのは北朝鮮当局の慣例だとしています。
そもそも収容所は極めて劣悪な環境にあり、拷問や暴行で殺される人が後を絶たず、遺体は放射性廃棄物扱いされ統制区域に埋められると言うし…。
飢えと拷問に苦しみ、人間として最低限の自由や権利を完全に奪われた生活、これが北朝鮮の現実なのに「対話・平和」とはいったい何なのでしょう?
あまねさんに聞いてもらいたく書かせていただきました。
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おはようございます。 (あまね)
2017-09-05 11:26:23
クワちゃんまだ見つかりませんねぇ・・・。
無事で居て欲しいです。

飢えや拷問や殺害、これが起こらない一秒間というものが存在しない世界がこの現実ですね。

北朝鮮や中国共産党のチベット人に対する拷問など、本当に酷いと想いますが、でもこの日本を振り返ると平成 27 年度の人工妊娠中絶件数は 176,388 件となっているので、一日に堕胎が483人行なわれたことになります。
これでも減っているようです。

信じられますか?一日に胎児が483人殺されている国なのです。

1時間に20人の割合です。
何故これを訴える人が少ないのかわたしは酷く疑問に想います。

戦争や核実験や拷問などなくなっても、堕胎や肉食や動物実験などが普通に行なわれている世界は平和などと言えるはずもありません。

平和とは何か?どうすれば創りあげることができるのか?と一人ひとりが深く考えつづける必要があると想います。

他者の行いを見るのではなく、自分の行いを誰もが振り返って自分自身と対話することが必要なんだと感じます。

聖書のマタイ7章にはこんな言葉があります。



さばいてはいけません。
さばかれないためです。

あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。

また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。

兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。

見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。

偽善者たち。
まず自分の目から梁を取りのけなさい。
そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。




北朝鮮の人たちに「核実験をやめてください」と言うには、まずわたしたちが自分の眼の中から悪いものをすべて取り除く必要があります。

日本は一日に483人もの胎児を無残にも拷問にかけて殺害し続けている国です。

果たして日本は北朝鮮に向かって「平和」に向けて頼み込むことが出来る立場でしょうか?
わたしはそんなことが言える国では到底ないと感じます。

まず日本は堕胎と死刑という合法の殺人行為を、なくす必要があるんだと想います。

それでようやく初めて他国に向かって「平和」を訴えることが出来るのではないでしょうか。
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そうなんですか! (ひまわり)
2017-09-05 22:50:27
日本で人工中絶が、そんな多いとは知りませんでした。
人間の子供よりペットの方が多いのに、ベットの殺処分や廃棄や虐待も多く、不必要な動物実験も凄く多い国ですよね。

住みやすい安全な国だけど、動物には住みにくい恐ろしい国で、おもてなしや思い遣りは上辺だけ、真心も過去の言葉になりつつありますね。

放射能を海や大気中に撒き散らし、中国の汚染物質のことも言える立場じゃないし、北朝鮮に意見できる立場でもないですね。
私も間違った平和ボケから、目を覚まさないとダメな一人でした。

ありがとうございますm(_ _)m
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ひまわりさんこんにちは。 (あまね)
2017-09-06 13:47:57
昨日その後に、マタイ7章の言い分を別の言い方で書かれているローマの信徒への手紙の第2章の聖句を読んでいました。

そこには、こう書かれています。



だから、ああ、すべて人をさばく者よ。
あなたには弁解の余地がない。
あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。
さばくあなたも、同じことを行っているからである。

わたしたちは、神のさばきが、このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。

ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。
あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか。




「さばく」とは理非を明らかにすること、つまりそれが”正しい”のか”正しくない”のかを決め付けてしまうことなんだと想います。

人が人を殺していたり、動物を殺していたり、または拷問にかけていたりするのを「それは正しくありません。間違っています」と言うのは容易いことです。

誰もが他者の行為に対して、それが正しいか間違っているかを容易に決め付けてしまいがちです。

しかしここでその都度、思い留まって、「何故かれらは、そのような酷いことをするのだろう?」と考えることは、それを考えないで相手を不正だと決め付けてしまうことより平和を創りだして行けるようにわたしは想うのです。

相手を罪と定めることで、相手に罰を与えようとします。
死刑というものがそれですし、刑罰というもの全てがそうです。

この「制裁」というものがある間は、この世界に平和は訪れないと想います。

相手を裁き、そして相手を罪と定める者全ては、いつしか自分も同じ罪として裁かれる日が来るのだとわたしは感じます。

他者の行為を、ただ非難するのは簡単なことです。
しかし相手が何故それを行なうのかを死ぬ迄考えつづけていくことは苦しいことですが、大切なことなんだと想います。

わたしは小説の中で殺人者をときに描きます。
それは殺人者に自分がなって想像してみることが大事なことに感じるからです。

自分が人を殺さねばならない身になったとき、今まで見えなかったものが見えてきます。

人は相手の行為を訴えてはならないわけではありませんが、訴えると同時に、相手を自分自身として考え、そこでどれだけ苦しめるかが、人間すべての課題のように想います。
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