今年も昆陽池公園で行われている阪神淡路大震災追悼のつどいに行ってきました
小学生だったあの時から23年。当時は奈良に住んでいたけど、地震の強い揺れで起きた朝のこと、そしてTVから流れてくる衝撃的な映像の数々を今でも鮮明に覚えている。改めて、あれから23年も経つという時の流れに驚きを感じ、そして、時の流れとともに震災を知らない人たちが増え、阪神淡路大震災という出来事が学校の教科書の1ページで知る「過去の事件」となっていく、むしろなっているのだろうね。コレは時の残酷さというのか、おそらく「平成」から次の時代に移れば「過去」感はさらに加速していくと想像できる
それは、ある意味しかたのないことかもしれない。ガッちゃんも日々生活するなかで、震災のことを毎日思い出しているワケじゃないし、震災を知らない人たち、子どもたちが体験していないコト(ガッちゃんも体験しているワケではないけど)を理解するのも難しいかもしれない
でも、追悼のつどいによって震災のことを風化させずに世代を超えて想いを繋げていくことはできるんじゃないかなと毎年参加しながら思っているトコロではあるのだね
なのでガッちゃんは、寄付をしたりロウソクに灯をともすことしかできないけれど、追悼のつどいが続いていき、繋いでいくことができたらと願うばかりだね
当たり前に生活できること、生きていることの有り難さを感じた日でした