リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

宗教とは別に寺の危機は日本の文化の危機だと思う

2018-04-14 | 一般
「寺の住職 競売妨害した疑い」と題する小さな記事(朝日新聞2018-4-13横浜版)が気になった.横浜市の寺の土地や建物が競売にかけられることになったが,住職が寺の用地は霊園用地として貸し出していると虚偽の説明をして競売の強制執行を妨害しようとしたとして逮捕された.もっとも,住職は間違いなく契約しているとして,容疑を否認しているという.
気になったのは競売になるいきさつだ.住職は温泉施設などを運営する会社会長から約2億円の借金があったが,返済が滞り,地裁に競売が申し立てられたという.いったいどのような経緯で会社会長とつながって借金を作ったのだろう.
お寺の困窮についてはAERA.dotなどで報道されている.新聞でも,少し前に,追い詰められてちょっと借金をしたのがきっかけになって,寺も何もかも失った,というような話を読んだ.お寺や神社は日本の文化の一部だと思って柔道のように公に支援することはできないのだろうか.政教分離が大切なことはわかるが,神社のお祭りに町内会が駆り出されるようなことはある.
――と書いたものの,実際に無理であることはわかっている.葬式でお世話になるくらいの(それすらお布施や戒名料の不透明さが気持ち悪い)お寺に税金が投入されるというのは国民の理解が得られない.そもそも一口で「お寺」といっても新興宗教(宗派?)のようなものは私はありがたみは感じないし,創価学会なども日蓮とのゆかりから仏教だと主張するかもしれない.また,決して怪しげな寺でなくても,コンクリートで建て替えられた寺には私はありがたみを感じない.誰もが納得できる援助対象の線引きはできないだろう.
結局,困窮した寺の住職が廃業を決意したとき,文化庁あたりが建物だけを引き取ってそのまま維持・保存してくれればいいと思っているのだが,それでは真面目な仏教徒の方々に怒られるだろうか.

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