リベラルくずれの繰り言

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私立高校無償化で問われる公共教育の意味

2017-12-17 | 政治
安倍政権は幼児教育無償化と並んで高等教育無償化も掲げている.どちらもそれ自体としては悪くないのだが,先進国最悪の日本の財政レベルを考えると,果たして今やるべきことか疑問がある.幼児教育無償化についてはこのところ待機児童対策を優先すべきと何度も書いてきた(待機児童カテゴリーの記事一覧).では高等教育無償化(具体的には私立高校授業料の無償化)はどうだろうか.朝日新聞12月16日の記事をきっかけに,考えてみた.
実はすでに高校の授業料補助があるが,文部科学省によると,補助により私立高に通う低所得者層の割合が増えるなどの効果があった一方,教育の質向上につながっているかどうかはわかっていないという.
政府が考えている「私立高校無償化」とは,これをさらに進めて,年収約590万円未満の世帯には私立高の授業料の平均に当たる約39万円まで補助を引き上げるという.つまり,学生は費用のことを考えずに公立でも私立でも希望する学校を選べるようになるということだ.公立学校の側からいうと,私立高校との競争いかんによって受験生に見捨てられる可能性も出てくる.(少子化ですでに廃校となった公立高校は多い.その際,私立高との競争の影響があったのかどうか,知りたい.現状での費用差を考えると,たぶんなかったと思うのだが.)だが公立の場合,学校間格差をなくすためだろうが,定期的な先生の異動があるなど,不利な側面もある.(それなのに現実には公立校の間のレベル差というものがあるのを昔から不思議に思っている.)「私立に予算が回され,公立の分が削られているように映る.地元から通える公立が消える地域が出るのでは」との塾経営者の声が紹介されているが,公立校が私立高と同じ土俵で比べられるというのが正しいことなのだろうか.
私はもともと教育というのは義務教育も高校も大学も国公立だけあればよく,特別なプラスアルファ(特定の宗教とか,特定の教育方針とか,特別高度な研究設備とか,特別な体験プログラムとか)を望む人がプラスアルファの授業料を払って私立に行くものだと思っていた(現実はともかく本来はそうだと思っていた).現実問題として私立のほうが国公立より教育の質が高いということであれば,収入によって教育機会の差別がされないように私立高無償化には意義があるが,たぶんそんなことはないのではないだろうか.公立と私立を受験生の目からは区別なく選べるようにするというのであれば,公立高の意義は減る.私立平均くらいの教育の質を公立校で確保し,特別なプラスアルファを求める子以外は公立に行けばいいのではないのだろうか.つまり,私立高校の無償化をするくらいなら,公立高校を充実させるべきなのではないか.

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