若い頃、仕事していたので、産休明けから子どもは昼間、保育園で過ごした。
そのことに罪の意識も持ったことないし、
子供が可哀想だなんて思ったこともなかった。
専門家に見てもらうのですごく安心感があった。
子供にとって、友だち、仲間がいるというのもすごくあった。
私一人で子育てする自信も気もなかった。
ここなら安心して見てもらえると思える所がみつかるまでは必死で探したけど。
よく保母さんに「私ならこんな時にイライラしちゃうけど、
保母さんは凄いですよね~!」って言ってた。
そうしたら「私も我が子にはこういうわけにいかないんですよ(^^)」
っていう言葉が返って来たことがあった。
そのときはそのわけがわからなかった。
前も介護職のことで書いたけど、
それを仕事にしてる人は、何かの行為をする時に今ここで何を実現したいのかに、
はっきりと自覚がある、それが私と違ってたのかと思う。
食事時間のとき、遊んでいる時、着替えの時、
どんな時でも今ここでその子供が~なるようにと働きかけてる。
目的がその時その時はっきりとしてたのかと思う。
そして、出来なかったら出来なかったで、続く、っていう見方があったと思う。
放して見えるプロだから。
母親の私よりそれ以外の情報に引きずられてない心の状態に、
あったのだと思う。
この世の仕事の中で、どれも尊いものと思うけど、
一番は保母さんだと思ってる。わたし。
そのことに罪の意識も持ったことないし、
子供が可哀想だなんて思ったこともなかった。
専門家に見てもらうのですごく安心感があった。
子供にとって、友だち、仲間がいるというのもすごくあった。
私一人で子育てする自信も気もなかった。
ここなら安心して見てもらえると思える所がみつかるまでは必死で探したけど。
よく保母さんに「私ならこんな時にイライラしちゃうけど、
保母さんは凄いですよね~!」って言ってた。
そうしたら「私も我が子にはこういうわけにいかないんですよ(^^)」
っていう言葉が返って来たことがあった。
そのときはそのわけがわからなかった。
前も介護職のことで書いたけど、
それを仕事にしてる人は、何かの行為をする時に今ここで何を実現したいのかに、
はっきりと自覚がある、それが私と違ってたのかと思う。
食事時間のとき、遊んでいる時、着替えの時、
どんな時でも今ここでその子供が~なるようにと働きかけてる。
目的がその時その時はっきりとしてたのかと思う。
そして、出来なかったら出来なかったで、続く、っていう見方があったと思う。
放して見えるプロだから。
母親の私よりそれ以外の情報に引きずられてない心の状態に、
あったのだと思う。
この世の仕事の中で、どれも尊いものと思うけど、
一番は保母さんだと思ってる。わたし。