経験があるのだけど、窮地に陥った時に、
自分や大切な人がどうなってもいい、と
“覚悟”状態、“諦め”状態になるのは、
幸せになってほしい、あぁなりたい、こうなっては困る、
・・・そういった願いを放棄することだ。
スピノザの言葉で、「願望の放棄」とは
その願いが叶っている状態である、といったものがある。
何も望まない=願いが叶っている だから。
確かに自分の体験でもそれがキッカケでいい方向に進んだ。
最近の心関係の本の多くに「お金がある」はお金を呼ぶ言葉で、
「金がない」は言わない方がいい、
というのがあるけど、それと一緒で。
“存在の状態”が始まりで、そこから行為しろ、
という奴と同じことをスピノザは言ってたわけだ。
願いを放棄するとは、その願いを永久に捨てることとは違う。
願望実現の為に、行為するときにはその願いを棚に上げておくことだ。
いわば、願望放棄状態の心で居ることだ。
無我の境地といってもいい。
ここで、いきなり・・と思うかもしれないけど・・・
アフリカの草原で猛獣に追いかけられた小動物が一目散で逃げられるのは、
不安や恐怖感が無いからだという。
それがないから、恐怖に身をすくめることなく、
自分の身を守る最善の方法をすぐにとれるという。
相手が幸福で在ってほしいという願いをその瞬間、持ったままでいると、
相手が相手自身の幸福が叶わないような行動を
してしまうんじゃないかと恐れてしまうことがある。
そして、相手のその行為を否定的に観てしまうことがある。
そんなことをしたら・・あぁなってしまう、こうなってしまう、と“不安になる”。
けれど、そういった場合でも、不安になるのではなく、
そんなことをしたら、そうなる、と予想が付くからこそ、
駆け寄ったり、アドバイスするというのはある。
たとえばだけど、その穴に落ちたら助からない、というような、
大人には一目瞭然のことも、未熟な子供はわからないでいるというようなことがある。
そういう場面に直面したとき、不安におののいて、
恐怖感に囚われたら、身がすくみ、身体が緊張し、
自由に動けなくなるだろうけど、
人間はそういう緊急時、動物的になるそうだ。
草原の小動物のように、的確な行動がとれるようになっているそうだ。
子供を危険な穴の方に行かせないという瞬間的行動をとれるのは、
その瞬間のとき、現れる火事場の馬鹿力のような、
人間が持つ本能的な、動物的な力があるからだという。
けれど、残念ながら、そういう緊急時ではないときなど、
不安や恐れを感じてしまうことが多い。
不安や恐怖は意識を持つ人間だけに現われる。
不安になるのは願望を持ったままでいるからで、
そのとき、その願望を放せば(棚上げすれば)不安感に襲われることなく、
そういうことをしたら、あぁなるのではないか・・と物事の成り行きを落ち着いて推察できる。
そして、良い方向に物事が進むように自分はこうしよう、とか、
相手にはこうあたろう、とか、
冷静に物事を運べる。
願望を棚上げしてるだけで、
捨てていないからこそ、とれる行為・行動なのかと思う。
つい不安や恐怖を感じてしまう人間だけど、
人間だけが希望を描け、そのために実現する力を持っているはずだ。
自分や大切な人がどうなってもいい、と
“覚悟”状態、“諦め”状態になるのは、
幸せになってほしい、あぁなりたい、こうなっては困る、
・・・そういった願いを放棄することだ。
スピノザの言葉で、「願望の放棄」とは
その願いが叶っている状態である、といったものがある。
何も望まない=願いが叶っている だから。
確かに自分の体験でもそれがキッカケでいい方向に進んだ。
最近の心関係の本の多くに「お金がある」はお金を呼ぶ言葉で、
「金がない」は言わない方がいい、
というのがあるけど、それと一緒で。
“存在の状態”が始まりで、そこから行為しろ、
という奴と同じことをスピノザは言ってたわけだ。
願いを放棄するとは、その願いを永久に捨てることとは違う。
願望実現の為に、行為するときにはその願いを棚に上げておくことだ。
いわば、願望放棄状態の心で居ることだ。
無我の境地といってもいい。
ここで、いきなり・・と思うかもしれないけど・・・
アフリカの草原で猛獣に追いかけられた小動物が一目散で逃げられるのは、
不安や恐怖感が無いからだという。
それがないから、恐怖に身をすくめることなく、
自分の身を守る最善の方法をすぐにとれるという。
相手が幸福で在ってほしいという願いをその瞬間、持ったままでいると、
相手が相手自身の幸福が叶わないような行動を
してしまうんじゃないかと恐れてしまうことがある。
そして、相手のその行為を否定的に観てしまうことがある。
そんなことをしたら・・あぁなってしまう、こうなってしまう、と“不安になる”。
けれど、そういった場合でも、不安になるのではなく、
そんなことをしたら、そうなる、と予想が付くからこそ、
駆け寄ったり、アドバイスするというのはある。
たとえばだけど、その穴に落ちたら助からない、というような、
大人には一目瞭然のことも、未熟な子供はわからないでいるというようなことがある。
そういう場面に直面したとき、不安におののいて、
恐怖感に囚われたら、身がすくみ、身体が緊張し、
自由に動けなくなるだろうけど、
人間はそういう緊急時、動物的になるそうだ。
草原の小動物のように、的確な行動がとれるようになっているそうだ。
子供を危険な穴の方に行かせないという瞬間的行動をとれるのは、
その瞬間のとき、現れる火事場の馬鹿力のような、
人間が持つ本能的な、動物的な力があるからだという。
けれど、残念ながら、そういう緊急時ではないときなど、
不安や恐れを感じてしまうことが多い。
不安や恐怖は意識を持つ人間だけに現われる。
不安になるのは願望を持ったままでいるからで、
そのとき、その願望を放せば(棚上げすれば)不安感に襲われることなく、
そういうことをしたら、あぁなるのではないか・・と物事の成り行きを落ち着いて推察できる。
そして、良い方向に物事が進むように自分はこうしよう、とか、
相手にはこうあたろう、とか、
冷静に物事を運べる。
願望を棚上げしてるだけで、
捨てていないからこそ、とれる行為・行動なのかと思う。
つい不安や恐怖を感じてしまう人間だけど、
人間だけが希望を描け、そのために実現する力を持っているはずだ。