ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

自覚する時空

2013-02-27 10:55:39 | 実例体験観察
この前の、娘によかれと思ってついつい教えるみたいな感じで喋ってしまったこと。

言いたくなるという“心・意識の状態”があって、

そこから(言う)が現象化したわけなんだ。

かなり前の事だけど、何かを言いたくなって、それを口にした・・

というホンのホンの少しの間に、

「言うかな言うかな・・あー、言っちゃった」という言葉が、

聞こえた(心の耳に、という感じで)ことがあった。

それは顕在意識の私の思考じゃなかったので、

すごくびっくりした。前に書いた「分身だ」という声を聴いたのと同じ現象だったのかと思う。

もう一人の私の声、潜んでいる私の声、だと今は勝手に理解してる。

なんでこんな事書いてるかというと、

(言いたくなる、という心の状態)と(言う、という行為)の間の時空に、

自覚が生まれれば、言わないで済む、ことにもなる。

自覚的になるということは、

ベンジャミン・リベットが意識と行為についての実験をし、

その結果を見て、

“しないという自由意志”を行使する時間は充分にある、

ということを発表した、その時間のことかと思う。

ひとを殺したくなっても、それをしないという自由意志が行使される時間はあるのだから、

ひとを殺したい、殺したくなった、というような意識が生まれても、

それを実行に移さなければ何の問題もない、ということも確か言っていたと思う。

行為の元は心の状態だと何度も書いてきて、それも勿論あるけど、

それと・・・

自分の意識のその時々の在りように目を向け、(観察し、そう在ると自覚し)

自分がその時空で何を実現したいのかの意志があること、で、

行為が変わってくる。


感情のままに行動するのではなく、理性を働かせろ・・というような事をよく聞くけど、

それも同じようなことを云っているのかと思う。

理性とは自覚的になること、と受け取っていいんだろうかな。

ただ、感情と理性という言葉で表現すると、

感情を理性で抑え付ける、といった感じを受ける。

上役の言葉にカッとして何か言い返したくなったけど、

それをぐっと抑えて冷静を装ったみたいな・・・

そういう抑圧は副作用を生む。

(それがいいとか悪いとかは関係なく、ただ、そうなるということ)


今の自分の状態はこうだけど、(言いたくなったけど)

それはよかれと思ってという無意識のうちの働きからそうなったけど、

言いたくなった言葉を言ったら、相手がよかれ状態になるのか、

私のよかれと願うその願いが実現するのか・・

そんな前提のもと、言わないという行為が現象化される。

・・・そんなふうになりたいよ。


言いたくなっても言わない方がいい、なんてことじゃないよ。

そんなのはストレスを生む。

よかれと思ってつい口走ってしまう経験をたくさんしてきて、

そういうことを“言わないことをしたい”そう思っている。

さてさて、現実は如何なりますか・・・


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