ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
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旅行土産

2012-08-08 11:07:43 | 実例体験観察
先月近くの友人と夫との3人で旅行に行った。

土産は義父に買ってきただけだった。

昨日Tさんがうちに来てくれたその時、

旅先でTさんに土産を買おうと一度思ってそれをやめたことを思い出した。

思い出したらそれが気になった。

なにが気になるんだろう、と夜、考えた。

行く前に「Tさんに何かお土産買って来ようかな」が浮かんだことがあった。

旅先はTさんが以前に暮らしていた場所だったし、

Tさんに旅行に行く事も話してあったし。

でも、「でも、いいや、買わなくても」って思って、買って来なかった。

わざわざ土産を買って来るような旅行じゃないしなぁ・・・

・・なんていう意識も働いたし、

実は私は土産に対してイメージが良くなかった。

義理のものっていう偏見があった。ひねくれ者の私はそういうのがあった。

もうそんな偏見は消えていたかと思っていたら、まだしぶとく在った。

心を表わす土産の方が世の中には多いだろうに。

「いいや、買わなくても・・・」は“考え”て出て来たことだ。

“浮かんだ”という感じじゃなかった。

気持ちが浮かんでから、その後考えたのだった。

Tさんが常識人だという前提は私の中にあって、

そういうTさんを私はそのままでいいとなっているので、

そういうTさんだからこそ「お土産」という発想が浮かんだわけだ。

「お土産買って来ようかな」が“浮かんだ”のは“気持ち”だった。

なにかパッと思いが浮かぶことって、自然に浮かぶもの。

義理があるとか、あの家は五月蝿いから土産を買わなくちゃいけない、

とかいう思考はパッと浮かぶというより、考えることだと思う。

「五月蝿いあの人に買おうかな」なんてことは“浮かぶ思い”じゃない。

パッと浮かぶ思いは“気持ち”なんじゃないかと思った。


私は今回、“気持ち”を捨てて、“考え”をとったのだった。

そのことが後味が悪い。

友人に土産を買うべきとか買う方がいいとかそんなのがあるんじゃない。

Tさんに対する自分の態度を悔やんでいる。


今回のパッと浮かんだ思いって、

その時の私とその時のTさんの在りのままの状態という全体から私への

私信だったんじゃないか、至心の表現だったんじゃないか・・・

・・・なんか、そういう確信がある。

それに背いた自分だから後味が悪いんだと思う。

自己に発し、自己に還るだね~ これも。
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