思い は気持ち、こころ、感情・・かな。
それは変化する。
お饅頭が好きでも、10個目はもう嫌になるかもしれない。
もう一つは 考え。
「私はこれについてこう考える」というような言い方をする。
「アイスクリームと熱々の肉饅頭は同じ箱に入れない方がいい」
・・というようなのは 思い というより 考え かな。
その考えは食前食後で変わったりしない。
価値観とか世界観とか人間観とかものの見方とか、
そういうものも考えといえるかもしれない。
思い ほど、ころころ変わるという感じじゃない。
こういうものが価値がある、という価値観。
世界とはこういうものだ、という世界観。
人間とはこういうものだ、という人間観。
茶碗はご飯を入れて食べる為の容器だ、という物の見方。
男は稼いでなんぼのものだ、というのは男についてのひとつの見方。
女は女らしくあるべきだ、というのも、女についてのひとつの見方。
いろんな見方が在るのは当たり前。
・・こういったものの見方は(気持ち・思い)ほど、簡単には変わらない。
茶碗はご飯を食べる為の容器である、というものの見方がなかったら、
食事のつど、えーっとどれで食べようかと考えなくちゃならない。
自然にスムースに食事が出来るのも、
そういう見方、潜在意識にあるプログラムが在って、
それが作用しているからこそ。
続く・・
それは変化する。
お饅頭が好きでも、10個目はもう嫌になるかもしれない。
もう一つは 考え。
「私はこれについてこう考える」というような言い方をする。
「アイスクリームと熱々の肉饅頭は同じ箱に入れない方がいい」
・・というようなのは 思い というより 考え かな。
その考えは食前食後で変わったりしない。
価値観とか世界観とか人間観とかものの見方とか、
そういうものも考えといえるかもしれない。
思い ほど、ころころ変わるという感じじゃない。
こういうものが価値がある、という価値観。
世界とはこういうものだ、という世界観。
人間とはこういうものだ、という人間観。
茶碗はご飯を入れて食べる為の容器だ、という物の見方。
男は稼いでなんぼのものだ、というのは男についてのひとつの見方。
女は女らしくあるべきだ、というのも、女についてのひとつの見方。
いろんな見方が在るのは当たり前。
・・こういったものの見方は(気持ち・思い)ほど、簡単には変わらない。
茶碗はご飯を食べる為の容器である、というものの見方がなかったら、
食事のつど、えーっとどれで食べようかと考えなくちゃならない。
自然にスムースに食事が出来るのも、
そういう見方、潜在意識にあるプログラムが在って、
それが作用しているからこそ。
続く・・