読みたいと思ってた福岡伸一さんの対談集「せいめいのはなし」をざーっと読んだ。
まだ読み込んでない感じはあるけど、
養老先生との対談のところで面白いのがあった。
両生類の一つが洞窟の中で暮らすようになって、長い年月で目がなくなる。
こういうのを「退化」というらしいが、
そこが暗いので目が要らなくなる、のではないかと普通云われているが、
光の届かない暗い所で見ようとするのはその動物にとって、
とても大変なことで、見ようとすると疲れるから、目がなくなったのではないか、
・・と養老先生は考えたらしい。
なくなることで“有利になる”状態でないと、
目がなくなることはないのではないか。
疲れることがなくなるのはその動物にとって有利なこと。
・・・その通りなんじゃないかと思った。
そして、次にそれは果たして「退化」なんだろうか?が浮かんだ。
もしかしたら「進化」ともいえるんじゃないかと思った。
光のある所で生きている人間の見方から見ると、
目がある方が進化の階段では上にあって、
なので、目がなくなるのは「退化」と観るのだろうけど、
真っ暗な洞窟の中で暮らすようになった生き物にとっては「進化」だろう。
目がなくなったことで、他の感覚はそれ以前よりずっと性能は良くなったと思う。
それならそれでと動的平衡状態が起こったに違いない。
環境がそれならそれで、私はこうしましょうって。
この目のなくなり方もなるべくしてなっている、という今西錦司さんの進化論のようだ。
多くの時空を経たプロセスはあきらかじゃないんだろうけど、
方向は常に快適にという方向だと思う。
それでこそ進化だ。生命は不愉快になりたいわけがない。
養老先生は有利という言葉を使っていたけど、
不利より有利の方が顕在意識のない動物も状態としては快適だろうと思う。
まだ読み込んでない感じはあるけど、
養老先生との対談のところで面白いのがあった。
両生類の一つが洞窟の中で暮らすようになって、長い年月で目がなくなる。
こういうのを「退化」というらしいが、
そこが暗いので目が要らなくなる、のではないかと普通云われているが、
光の届かない暗い所で見ようとするのはその動物にとって、
とても大変なことで、見ようとすると疲れるから、目がなくなったのではないか、
・・と養老先生は考えたらしい。
なくなることで“有利になる”状態でないと、
目がなくなることはないのではないか。
疲れることがなくなるのはその動物にとって有利なこと。
・・・その通りなんじゃないかと思った。
そして、次にそれは果たして「退化」なんだろうか?が浮かんだ。
もしかしたら「進化」ともいえるんじゃないかと思った。
光のある所で生きている人間の見方から見ると、
目がある方が進化の階段では上にあって、
なので、目がなくなるのは「退化」と観るのだろうけど、
真っ暗な洞窟の中で暮らすようになった生き物にとっては「進化」だろう。
目がなくなったことで、他の感覚はそれ以前よりずっと性能は良くなったと思う。
それならそれでと動的平衡状態が起こったに違いない。
環境がそれならそれで、私はこうしましょうって。
この目のなくなり方もなるべくしてなっている、という今西錦司さんの進化論のようだ。
多くの時空を経たプロセスはあきらかじゃないんだろうけど、
方向は常に快適にという方向だと思う。
それでこそ進化だ。生命は不愉快になりたいわけがない。
養老先生は有利という言葉を使っていたけど、
不利より有利の方が顕在意識のない動物も状態としては快適だろうと思う。