テレビのキャスターやコメンテーターと言われる人たちは
いろんな事件・出来事に対して
正義の旗を振りかざして簡単に咎めることが多い。
こういう風潮のことだと思うけど、若松氏はこういっている。
「本当の意味の批判をする人は
『批判対象がなければ自分の頭にこの考えは浮かばなかった』と知っている。
ですから批判から高度な対話が始まる。
でも最近は相手を封じることを「批判」と呼ぶようになってしまった」
この話の後に、山折氏が
「話を単純にし過ぎる人も多いですね。・・・
イスラム国のことも全否定して済むだろうか。・・・全否定したら後は戦争だけ。
この単純さを日々見せつけられ、
世界が単色になっていきり立っている」
と言い、その後に若松氏のこういう発言がある。
「多層的な世界を単層で語ると、私たちの世界は大きく誤ります。
日々のニュースは、ときに単層で伝えざるを得ない。
それを補う知識人までが単層的に語ると、
世界は本当の意味で暴力的になる。」
これを読んで、本当にそうだなぁと思った。
「ガンジーは語ることより沈黙が強いと気付いていました。
という若松氏の言葉があったけど、
沈黙はなぜ語ることより強いのか・・・・・?
多層的な事実を前にすれば、
起きた事を良い悪いと簡単に語りえないとわかって、
沈黙しかない・・となるんだろうか。
実際、何かを話したり、何かしてるとき、
何も言葉が返って来ず、いいも悪いもない感じで
じーっと見つめられるだけ・・そんな対応されると、
人は誰でもそのとき、内省的、内観的になるんじゃないかと思う。
暴れているイスラム国の人たちの前で何もせず、何も言わず、
みんなでただじーっと見つめている・・・
それをいつもそうする。ずーっとそうする。
そういうふうにしたら、イスラム国の人たちは
どう感じ、どう考え、どうなるのか・・・・・
いろんな事件・出来事に対して
正義の旗を振りかざして簡単に咎めることが多い。
こういう風潮のことだと思うけど、若松氏はこういっている。
「本当の意味の批判をする人は
『批判対象がなければ自分の頭にこの考えは浮かばなかった』と知っている。
ですから批判から高度な対話が始まる。
でも最近は相手を封じることを「批判」と呼ぶようになってしまった」
この話の後に、山折氏が
「話を単純にし過ぎる人も多いですね。・・・
イスラム国のことも全否定して済むだろうか。・・・全否定したら後は戦争だけ。
この単純さを日々見せつけられ、
世界が単色になっていきり立っている」
と言い、その後に若松氏のこういう発言がある。
「多層的な世界を単層で語ると、私たちの世界は大きく誤ります。
日々のニュースは、ときに単層で伝えざるを得ない。
それを補う知識人までが単層的に語ると、
世界は本当の意味で暴力的になる。」
これを読んで、本当にそうだなぁと思った。
「ガンジーは語ることより沈黙が強いと気付いていました。
という若松氏の言葉があったけど、
沈黙はなぜ語ることより強いのか・・・・・?
多層的な事実を前にすれば、
起きた事を良い悪いと簡単に語りえないとわかって、
沈黙しかない・・となるんだろうか。
実際、何かを話したり、何かしてるとき、
何も言葉が返って来ず、いいも悪いもない感じで
じーっと見つめられるだけ・・そんな対応されると、
人は誰でもそのとき、内省的、内観的になるんじゃないかと思う。
暴れているイスラム国の人たちの前で何もせず、何も言わず、
みんなでただじーっと見つめている・・・
それをいつもそうする。ずーっとそうする。
そういうふうにしたら、イスラム国の人たちは
どう感じ、どう考え、どうなるのか・・・・・