ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

稀勢の里関 ③

2013-05-25 14:58:05 | ひとの幸福
前にカルテットというタイトルだったかで、バイオリン青年のことを書いたことがある。

彼はその曲を美しく弾きたいと強く願っていた。

その青年はそんなふうに弾けなくてずっと苦しんでいて、

あるとき先生が弾いていたのを聴いた時、

「美しく弾こうなんてしなくていいんですね、その曲は既に美しいんですから」と

感動的に気付いたことがあった、という話。

稀勢の里関が「大関としての相撲を取りたい」という願いを持ったのと同じだ。

稀勢の里だったら、

「大関としての相撲を取ろう、なんてしなくていいんですね。

僕は既に大関なんだから(実力があるから大関になれたんだから)」

こういうことなのかと思った。

稀勢の里で在るだけでいい。そのままでいい、ということなのかと。

稀勢の里という状態そのままでいれば稀勢の里の実力が出る。

(そんな願いがあるのなら、いっぱい練習してるんだろうから)

大関としての相撲を取ろう、という意識は、

その状態(身体の実力)に干渉という影響を与えることになる。

観測者効果だ。

その干渉は在るがままの稀勢の里という状態(実力)にマイナーな影響を与える。

自分の意識(無意識的も含めて)は自分の身体に即影響を与えることが出来る。

まぁ考えてみれば、大関としての相撲を取ろうという思いの出発点は

土俵の上のたった今、大関としての相撲を取れてない自分だということだ。

大関としての相撲を取れていたら、そんなこと思わないからね~

自分に向かって~とれてないと宣言してるのと同じようなもんだ。

自分でそう決めているから、自分という身体はその通りになる。


無いと思うから欲しがる。

在ると思えば欲しがらない。

こういうことなのかなと思った。

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