ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
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椅子と我が子

2012-11-06 15:59:05 | 量子力学と心
「椅子」と呼ばれている物を、踏み台にして、高い所の物をとることがある。

椅子が踏み台になっている・・という表現も出来る。

椅子と呼ばれている物を踏み台として扱うと、それは踏み台になる。

踏み台として扱えないのは踏み台と観ることが出来ないからか・・

隣の子供を我が子として扱えないのは、我が子と観ることが出来ないから。

それと同じだね。

それに関心を向けること、この例だと椅子を踏み台に、という意識が物理化・現象化を招く。

世界には他人の子を我が子として育てたり、そういった福祉活動という名で呼ばれる行為をしているひとが居る。

そういう人は我が子としてその子を扱っているのだろう。

我が子と観てしまうのだろう。

赤ん坊取り違え事件でもわかるように、実際の血がどうだとかこうだとかに拘らなくても、

子供を、どの瞬間も、真なるもの善なるもの美なるもの・・“として扱う”ことで、

子供は幸福に育つ。真善美なるものに“なる”。

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