江戸時代や明治や大正や昭和初期や第二次大戦後間も無い頃は、
社会全体が物質的に貧しくて、
ひとは自分や子供が食べるために忙しく働くばかりで、
たくさんの子供なんかに構っていられなかった。多分。
そういう時、子供の「意思・意志」はどんなふうに発揮されてたんだろ。
朝起きて、着替えしたり、ご飯食べたり、
学校へ行ったり、友達と遊んだり、親の手伝いをしたり・・
・そういう日常の行為をするときの意志は・・・・・?
例えば、朝起きるとき、
起きるまで親が何度も声かけたり、
起きない子供が起きるまで見張っていたのか・・
着替えするとき、
ずっと傍に居て、あれこれ指導したのか・・
食べるとき、
甘いものを食べ過ぎるな、これを食べろ、
アレを食べないとダメ、これも食べないといけない、と指導したのか・・
学校生活のことで、
成績についてアレコレうるさかったのか・・
きちんと授業を受けているか心配したのか・・
遊びについて、
こう遊べと指導したのか、誰それと遊ぶなと言ったのか・・
こんなふうに想像してみると、
こどもは結構放ったらかされ状態で、
自分の意思で動いていたんじゃないかな。
意思は尊重されるべきとして、
意識的にそういう環境にしたわけじゃないだろうけど、
日常の生活での細かな部分の意思、子供のその時々の意志は、
現代の子供より尊重されていたんじゃないかな。
「意思、意志」は規制を受けなかった、といってもいいし、
介入されなかった、と言ってもいいし、
干渉されなかった、と言ってもいいし、
子供にまかされていた、といってもいいかも。
いやいや、そんなこと言っても、
遊びたいという意志に介入して、やたら働かされたんじゃないか・・
なんてこと言われるかな。
貧しい暮らし・時代背景の中で、親がせっせと働いている時に、
遊びたい、そんな作業はしたくないと思うことは時にはあっても、
この状況はこれをするときだな、そうしようと、
子どもは自発的に思ったんじゃないかな。
親の手伝いではなくて、一つの役割を担っていたと思う。
働けと命令されてもされなくても、
状況を見て今はこうする、という“納得”があったかと思う。
そういう状況で遊びたい、
なんて発想は浮かばないのが普通かもしれない。
他からの規制で隷属的に動いていたとは、
言えないんじゃないかと思う。
無くていいたくさんの言葉を過剰に発する親は、
本来、自発的に発揮される意思を働かせて行動する機会を、
子供から奪っているんじゃないかなぁ。
そういう不自然なことを年がら年中してると、
しっぺ返しが来るのは当たり前なのかと思うよ。
親殺しなんかそうなんじゃないかな。
自分の身の回りの世話をしてくれた親を殺すなんて、
よっぽどのことがなきゃしないよ。
自分の意思や意志を無いもののように扱われるのは、
人としてよっぽどのことで、一番悲しいことかな。
社会全体が物質的に貧しくて、
ひとは自分や子供が食べるために忙しく働くばかりで、
たくさんの子供なんかに構っていられなかった。多分。
そういう時、子供の「意思・意志」はどんなふうに発揮されてたんだろ。
朝起きて、着替えしたり、ご飯食べたり、
学校へ行ったり、友達と遊んだり、親の手伝いをしたり・・
・そういう日常の行為をするときの意志は・・・・・?
例えば、朝起きるとき、
起きるまで親が何度も声かけたり、
起きない子供が起きるまで見張っていたのか・・
着替えするとき、
ずっと傍に居て、あれこれ指導したのか・・
食べるとき、
甘いものを食べ過ぎるな、これを食べろ、
アレを食べないとダメ、これも食べないといけない、と指導したのか・・
学校生活のことで、
成績についてアレコレうるさかったのか・・
きちんと授業を受けているか心配したのか・・
遊びについて、
こう遊べと指導したのか、誰それと遊ぶなと言ったのか・・
こんなふうに想像してみると、
こどもは結構放ったらかされ状態で、
自分の意思で動いていたんじゃないかな。
意思は尊重されるべきとして、
意識的にそういう環境にしたわけじゃないだろうけど、
日常の生活での細かな部分の意思、子供のその時々の意志は、
現代の子供より尊重されていたんじゃないかな。
「意思、意志」は規制を受けなかった、といってもいいし、
介入されなかった、と言ってもいいし、
干渉されなかった、と言ってもいいし、
子供にまかされていた、といってもいいかも。
いやいや、そんなこと言っても、
遊びたいという意志に介入して、やたら働かされたんじゃないか・・
なんてこと言われるかな。
貧しい暮らし・時代背景の中で、親がせっせと働いている時に、
遊びたい、そんな作業はしたくないと思うことは時にはあっても、
この状況はこれをするときだな、そうしようと、
子どもは自発的に思ったんじゃないかな。
親の手伝いではなくて、一つの役割を担っていたと思う。
働けと命令されてもされなくても、
状況を見て今はこうする、という“納得”があったかと思う。
そういう状況で遊びたい、
なんて発想は浮かばないのが普通かもしれない。
他からの規制で隷属的に動いていたとは、
言えないんじゃないかと思う。
無くていいたくさんの言葉を過剰に発する親は、
本来、自発的に発揮される意思を働かせて行動する機会を、
子供から奪っているんじゃないかなぁ。
そういう不自然なことを年がら年中してると、
しっぺ返しが来るのは当たり前なのかと思うよ。
親殺しなんかそうなんじゃないかな。
自分の身の回りの世話をしてくれた親を殺すなんて、
よっぽどのことがなきゃしないよ。
自分の意思や意志を無いもののように扱われるのは、
人としてよっぽどのことで、一番悲しいことかな。